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2022年9月12日、アメリカ・ロサンゼルスのマイクロソフトシアターで開催された第74回エミー賞のガラディナーで乾杯に使われたのはシャンパーニュではなく、イタリアの泡、フランチャコルタだった。フランチャコルタがこの栄誉に浴すのは前年に続いて2度目のことだった。

後発ながら高い名声を獲得

クリスマス、お正月と、泡が主役を張る機会が多くなるこれからの季節に合わせ、今回はイタリアの優美な泡、フランチャコルタについてお話ししよう。

フランチャコルタは香りを楽しむため、ボウル部分がふっくらと膨らんだグラスで味わう

フランチャコルタは、イタリア北部ロンバルディア州のフランチャコルタでシャンパーニュと同じ製法(瓶内二次発酵)で造られるスパークリングワインである。「シャンパーニュ」という言葉が地域名とワインの名称の両方に使われるように、「フランチャコルタ」も地域の名前であり、定められた製法で造られるワインの名前である。ちなみにイタリア語でla Franciacorta(女性形)と書けば「生産地域」を表し、il Franciacorta(男性形)と書けば「ワインそのもの」を表す。

イタリアの泡というと、他にも、軽快なプロセッコ、甘口のアスティ、赤の泡ランブルスコなどがあるが、フランチャコルタは最初に世に出たのが1961年と後発でありながらも頭抜けて高いプレステージを有する。誕生からわずか30年ほどでその地位に昇りつめたことを「イタリアの奇跡」と評する人もいる。

瞬く間にスパークリングの銘醸地へ

もう少し歴史について語ろう。フランチャコルタの語源はラテン語で「税金免除の地」を意味する「クルテス・フランカ」だとされている。11世紀にクリュニー会の修道士たちがこの地にやってきたが、余りにも痩せた土地だったため、作物を得られる見込みがないとのことで課税を免除された。クルテスとフランカをひっくり返すとフランカ・クルテスになる(フランチャコルタとそっくりだ)。不毛の土地で辛うじて実るのがブドウだった。この地のワイン造り(スティルワイン)は16世紀には行われていたが、地元消費用に留まっていた。

58年に時代は動く。ワイン生産者のグイド・ベルルッキはワインの品質を上げ、業績をアップしたいと願っていた。そこで相談したのが、地元出身でピエモンテ州の醸造学校で学んだフランコ・ジリアーニだった。「どうしたらピノ・ネロ(ピノ・ノワール)で良いワインが造れるようになるだろう?」と訊ねるベルルッキに対し、ジリアーニは「スパークリングワインを造ってみないか?」と意外な返答を寄越した。実はジリアーニは大のシャンパーニュ好きだった。

1961年、「グイド・ベルルッキ」はスパークリングワインである「ピノ・ディ・フランチャコルタ」をリリース。生産本数はわずかに2000本だったが、瓶内熟成18カ月を経た堂々たるスパークリングだった。ラベルには「メトド・シャンプノワーズ(シャンパーニュ製法)」の文字が刷られていた。

記念すべき最初のフランチャコルタ

時はあたかもイタリアの高度成長期の真っ只中。ベルルッキのスパークリングは評判となり、大成功を収める。そこには「泡=シャンパーニュ」という世界の常識に対するイタリア人のコンプレックスとプライドが密かに作用したに違いない。資本の集まるミラノから車で1時間ほどと近かったこともあり、投資が加速し、ファッション業界とコラボするなど「華」も纏って、フランチャコルタは瞬く間にスパークリングの銘醸地へとリニューアルされていった。

最新のデータによれば、フランチャコルタの出荷量は年間約2030万本。年間3億2000万本を超えるシャンパーニュと比べると16分の1と、まだまだ比較にならない(ワイナリー数はフランチャコルタが121軒、シャンパーニュは組合に加盟しているものだけで約5000軒)。しかもフランチャコルタは90%以上がイタリア国内で消費されているため、日本で認知が低いのも仕方がない‥‥と言いつつ、実はフランチャコルタの輸出先として日本はスイス、アメリカに次いで第3位である。

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シャンパーニュと比べてふくよかで果実味に富んだ味わい...
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浮田泰幸
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