国内外のアーティスト2000人以上にインタビューした音楽評論家の岩田由記夫さんが、とっておきの秘話を交えて、昭和・平成・令和の「音楽の達人たち」の実像に迫ります。連載「音楽の達人“秘話”」のシンガー・ソングライター、南こうせつの第2回は、初回に引き続き名曲「神田川」の考察です。作者本人は大ヒットに重圧を感じていたといいますが、聴衆は“4畳半フォーク”のキャッチフレーズを与え、この曲を強く求め続けます。
4畳半の木造アパートも静かな人気
先日、ネットを観ていたら、若者に築50年以上、4畳半や6畳ひと間の古い木造アパートが静かな人気とあった。家賃が安いからだ。 6畳ひと間なら4~5万円という。風呂は無く トイレも共同だ。東京の話だ。
ぼくの友人は 大田区の西馬込(にしまごめ)に自宅兼6室の小さなマンションを持っている。21世紀に入る前は、家賃を5万円台後半にしても空室があった。それが現在は7万円台後半から8万円台にしても入居希望者が絶えないという。バス、トイレ付き、6畳に満たない台所と6畳の居間がある。そんな築30年以上の下駄履きマンションでも東京23区に暮らす若者にとっては高嶺の花に成りつつある。
ぼくが家とも呼べない母子3人が暮らす4 畳半ひと間のアパートを出て、ひとり暮らしを始めたのは1965(昭和40)年春、高校に入学した15歳の時だった。トイレ、台所共同 の4畳半ひと間は家賃が3500円だったと記憶する。トイレはもちろん水洗で無かった。アルバイトと奨学金を頼りに高校へ通った。生活は苦しかったが、それでも自活は今では楽しい思い出だ。
現代の若者に通じる普遍性
かぐや姫の「神田川」が大ヒットした1973~74年は、ぼくが自活し始めた8、9年後だっ たが、東京には多くの木造アパートが林立していた。地方からやって来た若者のオアシスだった。
「神田川」の主人公となっている男女は若く3畳ひと間の小さな下宿で同棲している。曲の前半では二人で行った横丁の風呂屋の思い出が歌われる。昭和20~30年代生まれの人には強い共感を与えるかも知れないが、現代のリッチな人々には貧乏臭い印象を与えるか も知れない。歌から推するにその同棲生活の後、ふたりは別れ、その時の思い出を女性が語っている。
“若かったあの頃 何も怖くなかった ただ貴方のやさしさが 怖かった”(「神田川」より)。情景は昭和でも、この歌の終わりのパートだけは、現代に通じる若者の恋愛の普遍性がこめられていると思う。
「神田川」には昭和ながらの情景と恋愛の普遍性が同居しているのだ。情景が時代遅れになったとしても、若き日の恋愛感情はそう変わらない。世の中が完全にデジタル化されそうになればなるほど、人というのはアナログならではの温かみを求めるものだとぼくは思う。