『その時歴史が動いた』や『連想ゲーム』などNHKの数々の人気番組で司会を務めた元NHK理事待遇アナウンサーの松平定知さんは、大の“城好き”で有名です。旗本の末裔で、NHK時代に「殿」の愛称で慕われた松平さんの妙趣に富んだ歴史のお話をお楽しみください。
戦国最強の武将、武勇なら島津義弘
鹿児島城にゆかりの人物といえば、明治維新の英雄・西郷隆盛や大久保利通、英邁な藩主と知られた島津斉彬、家老として薩長連合に導いた小松帯刀など数多いのですが、今回は戦国時代の武将・島津義弘のお話をしましょう。戦国最強の武将は誰か。信長、秀吉、家康、信玄、謙信、政宗……etc。いろいろな意見があると思いますが、武勇という点に限るなら、島津義弘は3本の指に数えられのではないか、と私は思います。
政治と軍事を掌握、家督は兄の義久
島津義弘は、鎌倉時代に守護として赴任して以来の薩摩の名門・島津氏の第15代当主・貴久の次男として誕生します。家督は兄の義久が継ぎますが、政治と軍事は義弘が掌握するというものでした。薩摩、大隅、日向を所領とする島津軍は、大将である義弘の指揮で豊後の大友氏や肥前の竜造寺氏を打ち破り、九州統一にばく進しました。それに待ったをかけたのが、羽柴秀吉です。
天正15(1587)年、秀吉は20万人を超える兵員を動員して九州に攻め入りました。さすがの島津軍も旗色が悪くなりますが、義弘は徹底抗戦を主張します。しかし、島津家の将来を案じた兄・義久の必死の説得で停戦に応じ、島津は豊臣政権下で大名として生き残る道を選びました。