小説『バスを待つ男』や、講談社の「好きな物語と出会えるサイト『tree』」の連載エッセイなど、作家生活25周年を迎えた西村健さんは、路線バスをテーマにした作品の書き手としても知られています。『おとなの週末Web』では、西村さんが東京都内の路線バスを途中下車してふらり歩いた街の様子と、そこで出会った名店のグルメを紹介しています。今回から「商店街編」が始まります。第1回は「砂町銀座」です。
画像ギャラリー「東京3大銀座」の一つ
今回のバスグルメでは東京の古い商店街を巡ります。そういうところだったらきっと私好みの、味のある食堂も見つかるに違いない、と睨んで。
ただ、考えてみれば商店街って、駅前なんかに普通ありますよね。人通りの発するところに自然発生的に、商店街も生まれる。なのに電車で行けば簡単なのに、なぜバスで行くの? と問われれば答えに窮してしまう。
そこで電車ではなかなか行きにくく、バスで行った方が楽な商店街、に絞ってターゲットとします。そうすると自然と、第1回にふさわしいところが浮かんだ。
「砂町銀座」
「東京3大銀座」の一つ(もちろん「本家」銀座は含まれないし、選ぶ人にとって異説もありますが)に数えられるにもかかわらず、どの駅からも離れているので有名。ね、今回のテーマにぴったりでしょう。
ただし事前にバス路線図で見てみると、電車では確かに行きにくいけど、近くを走るバス路線はかなり多いことが分かった。JR錦糸町や亀戸あたりからバスに乗り換えれば、難なく着いてしまう。
でもそれじゃ、面白くない。
あれこれ検討した結果、都バス「秋26」系統に乗ることにしました。JR秋葉原駅と東京メトロ東西線の葛西駅とをつなぐ路線で、目の前というわけではないけれど「砂町銀座」の近くも通る。そこそこの距離を乗ることになるから、これは楽しそうだ、と踏んで。
方向感覚を失う楽しみ それが路線バス旅の魅力
てなわけで早速、秋葉原駅前から件のバスに乗り込みます。
バスは駅前のロータリーを出ると、「昭和通り」を右折して走り出します。ところがすぐにまた右折。JRの高架を潜ってしまいました。これじゃ、反対方向じゃないの!?
「中央通り」に出ると、今度は左折。万世橋で神田川を渡りました。しばらくこの道沿いに行くのかな、と思ったら神田駅の目の前で、また左折。もうこうなると、乗っていてわけが分からなくなる。俺、今どっちを向いて走ってるんだろう? 同時にワクワクして来る。個人的な意見ながら、これが路線バス旅の楽しみの一つなのです。
その後もバスは複雑な右折左折を繰り返す。路線図を見てください(青線で示してるのが「砂町銀座」)。ね、本当に出発後しばらく、ぐにゃぐにゃと折れ曲がってるでしょう。そうして東神田で清洲橋通りに出て、後はずっとこれ沿いに走り出す。
そうしたら「明治座」の目の前で、停車。芝居見物を終えたらしいオバチャン達が、ぞろぞろと乗って来ました。花を持った人も何人かいる。閉演時、舞台に駆け寄ってお目当ての俳優に渡そうとしたのに、上手くいかなくて持ち帰るしかなかったのかなぁ。そんな風に乗客を観察して、勝手に想像を膨らませるのも、楽しい。
いやいや途中が面白すぎて、目的の商店街に着くまでに書き過ぎてしまいそう(笑)。バスは清洲橋で隅田川を渡ると地下鉄、清澄白河駅の上を走り抜けます。その先が、扇橋。講談社のWebマガジン「tree」の連載、「日和バス」のロケハンでここは来たことがある。ところが来る時の方向が違ってたので一瞬、戸惑いました。ははぁ、あの時とは90度ズレて、こっちの側から扇橋を渡ったわけか……あぁいかん、楽し過ぎるっ!
通りは南東に方向を変えて続きます。途中、立体交差を潜った。と、思ったら次が目的の「境川」バス停でした。停車ボタンを押して、下車。
通りをちょっと戻ると明治通りとの交差点。これを北へ行くと、「砂町銀座」の入り口に着ける筈。やがて目の前に、ずらりと並んだ行列が見えて来ました。どうやらお寿司屋さんに入る順番待ちみたい。まだ商店街には至ってないけど、そろそろっぽいなぁ、との感じが増して来る。
明治座の弁当が売られている!
そうして、着きました。「砂町銀座」。通りは東西に伸びていて、こっちは西側の入り口に当たります。
中に入ると、こんな感じ。幅2メートルちょぃくらいの通りの両側に店がずらりと並んでて、とにかく通行人が多い。雑踏、という言葉そのままですね。
こんなに駅から離れてて、近くに大きな施設があるわけでも何でもない。つまりここにいる人達は純粋に、この商店街を目的として来ているわけですね。と、言うよりここは地元の人々の、毎日の生活の場なわけですよ。よそから遠路はるばる来てるのは、ほとんど私くらいなわけで。
それが証拠に食材や、惣菜を売っているお店がとにかく多い。テイクアウトして、うちで頂くものですね。遠来の客が買うものではないわけで、つまりは地元密着、ということがよく分かります。生活雑貨の店や、お味噌屋さんなんかもありました。
そうしたら何と、「明治座」のお弁当を売っている店が。さっき、目の前を通ったばかりですものねぇ。何かの縁を感じます。それか、バス路線で直結してるからここの人々は、一般より明治座に親しみがあるのでしょうか。
商店街も真ん中を越えると、道幅がちょっと広くなった。おもちゃ屋さんや、古くていい感じの喫茶店もありました。しかし、「シントラ」って……どっからついた名前なん?その後、編集部から聞いたところによると、ポルトガルに「シントラ」という世界遺産の町があるらしい。もしかしてそこから取った名前?
きょろきょろしながら歩き抜けたら、あっという間に踏破してました。こっちが東側の入り口です。
昭和の薫り漂う店構えに惹かれて入ったら、大当たり
さて一通り、商店街を歩いてみてどこの店に入るか?
実は既に、胸の中でほぼ決めてました。バスに乗って来る最中、路地の奥がふっと覗けてムチャクチャ気になる店があったんですよ。砂町銀座からはちょっと外れるけど……。商店街にも気を引かれる店はあったけど、やっぱあそこしかないな、と。
そこで商店街を逆戻りし、西口側を出て更に歩きます。バス停、2つ分くらい手前だったけど通りが大きく曲がってたから、真っ直ぐ行けばそんなに遠くない筈だ、と睨んで。
かくして辿り着きました。これですよ、この店構え! これを見てしまったら、入らないという選択肢はあり得ないでしょ!?
入ると、カウンターにテーブルが3つだけ、と小ぢんまりした店内。これがまた好み好み。メニューを見るとそそるものがいくつもあったし、「日替わり定食」にも惹かれたけど、まぁ暖簾にも書いてあったし素直に「とんかつライス」860円を注文しました。
そしたら、出て来たのがこれですよ!
すっごいボリューム。これで860円で、いいの? おまけに味噌汁かと思ったら、何と豚汁でしたよ。
カツが分厚いので箸で持ち上げるとコロモからすっぽ抜けそうになったけど、持ち直して、別添えのソースに浸ける。食べるとコロモのサクサク感と、ソースの染みた肉の旨味が口の中で一体に。あぁ、快感。とんかつはやっぱり、こうでなくっちゃ!
目の前のテーブルでは常連らしいお婆ちゃんと、店のオバチャンとがお話ししてる。「今日、病院に行って来たんだけど混んでてさぁ。すごく待たされちゃった」
そんな日常の会話を聞きながら、地元の味を楽しむ。幸せですよねぇ。日本に生まれて、よかった!!
家に帰って調べたら、「三好弥(みよしや)」という洋食店は都内のあちこちにあるそうで、愛知県三河出身の初代が大正時代に小石川柳町(現在の文京区小石川1丁目あたりらしい)で創業し、そこから暖簾分けで次々、増えて行ったところだそうな。
そんなこと全然、知らなかったけどバスの窓からちらりと見えて、気になって入ってみたら大当たり! というこの展開。そもそも砂町銀座にバスで行ってみようとしなければ、この出会いもなかったわけで。まさにバスグルメの醍醐味はここにあり、ですよね。
あぁ、美味しかった。ご馳走様っ!!
「三好弥」の店舗情報
[住所]東京都江東区北砂1-6-7
[電話]03-3644-2323
[営業時間]11時〜20時
※新型コロナウイルス感染拡大の影響で、営業時間や定休日は異なる場合があります。
[休日]日・祝
[交通] 都営地下鉄新宿線西大島駅から約25分
西村健
にしむら・けん。1965年、福岡県福岡市生まれ。6歳から同県大牟田市で育つ。東京大学工学部卒。労働省(現・厚生労働省)に勤務後、フリーライターに。96年に『ビンゴ』で作家デビュー。2021年で作家生活25周年を迎えた。05年『劫火』、10年『残火』で日本冒険小説協会大賞。11年、地元の炭鉱の町・大牟田を舞台にした『地の底のヤマ』で日本冒険小説協会大賞を受賞し、12年には同作で吉川英治文学新人賞。14年には『ヤマの疾風』で大藪春彦賞に輝いた。他の著書に『光陰の刃』『バスを待つ男』『バスへ誘う男』『目撃』など。最新刊は、雑誌記者として奔走した自身の経験が生んだ渾身の力作長編『激震』(講談社)。
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