開店前にスタートダッシュで大コケ
昭和45(1970)年8月26日、深川に「すし 三ツ木」を開店しました。結婚して1年、妻の実家を改装して店にしました。うちのおかみさんの家はお産婆さんで、明治、大正、昭和と3代続いた名のある助産院でした。その頃は、お産婆さんではなく病院で出産する人が増え、義母も寄る年波には勝てず引退を考えていたようです。義母に「新ちゃん、ここで店を開いてみるかい?」と言われて、二つ返事で店を持つ決心をしました。
さあ、これでおれも一国一城の主だと気負いましたが、どっこいそうは問屋が卸さない。まず最初の壁が立ちはだかります。吉祥寺時代に貯めた金子では開店資金が足りず、深川じゅうの銀行にお伺いを立てましたが、ことごとく断られました。スタートダッシュで大コケです。
世間の風は冷てえなとヘコんでいると、助けの神が現れました。おかみさんのお琴の師匠が信用組合を紹介してくれて、融資の話がまとまり、やっと改装資金の目鼻がつきました。
ところが今度は、寿司の道具類を揃える資金が足りなくなり、また大ピンチ。困り果てて、道具屋さんに事情を話すと、「あんたは、『京橋 与志乃』の吉祥寺支店にいたんだろ。だったら大丈夫だ。全額貸してやるよ」とあっさり。捨てる神あれば、拾う神あり。道具屋さんの若い職人を育ててやろうというやさしさに救われたわけですが、これもひとえに親方が築いてきた信用のおかげです。改めて感謝しました。
ここからはトントン拍子にことが運び、世の中が大坂万国博覧会で盛り上がっている夏の最中、開店の運びをなりました。信用組合と道具屋さんへの借金を返すために、その日から2年間、1日も休まず店を開けました。その道具屋さん、築地常陸屋さんには1年9ヵ月で返済を終えました。当時のご主人は亡くなり、息子さんの代になってからもお付き合いは続いていますが、あのときの感謝の気持ちは忘れていません。
開店したてはお客さんでにぎわいましたが、だんだんに静かになっていき、客が1日にひと組なんて日も出てきて、生活はどんどん苦しくなりました。
こうなると、半端な魚をおかずにして残ったシャリを食べる日々が続くようになります。美味しい魚が食べられていいじゃないかと思うかもしれませんが、魚と酢飯が毎日というのはきついものです。食事の度に「たまにはコロッケ食いてえなあ」と思っていました。
そんな状況からなかなか抜け出せないまま3年、今度はオイルショックがやってきます。トイレットペーパーがスーパーの店頭から消える、節電のためにテレビの放送は24時でおしまい、店も遅くまでは営業できなくなりました。あのときは、店を潰してしまうんじゃないかと本気で心配しました。
その状況を乗り越え、5年目を迎える頃には商売も軌道に乗り、やっと店も繁盛するようになりました。開店から52年が過ぎ、今では、コロッケどころか、たまには娘を連れて食道楽旅行に出かけられるようにもなりました。
「のど元過ぎれば熱さ忘れる」なんて言葉もありますが、人間、つらかった記憶は薄れていくものです。でも、ここまで来れたのは、親方、おかみさん、義母、常陸屋さん、うちのおかみさん、そして、贔屓にしてくださったお客さん始め、多くの人と繋がり、支えられてきたおかげだと、深く心に刻んでいます。
暖簾を52年守ってこられた秘訣は何かといえば、きちんと仕事をすることは当然ですか、人との出会いを大切にして、感謝の気持ちを忘れないこと、これに尽きるじゃないでしょうか。
(本文は、2012年6月15日刊『寿司屋の親父のひとり言』に加筆修正したものです)
すし 三ツ木
住所:東京都江東区富岡1‐13‐13
電話:03‐3641‐2863
営業時間:11時半~13時半、17時~22時
定休日:第3日曜日、月曜日
交通:東西線門前仲町駅1番出口から徒歩1分