米食文化の歴史をたどる
稲作が始まったのは7000年以上前
紀元前5000年頃(今から約7000年前)とみられる中国浙江省河姆渡(かぼと)遺跡(新石器時代の文化)から、炭化米や農具、陶器などがみつかっており、この頃にはすでに稲作が行われていたことが分かりました。朝鮮半島南部を中心とする地域からは、約2500~3000年前の炭化米がみつかっています。日本には朝鮮半島を経由して稲作が伝わったと考えられています。
日本におけるおにぎりの歴史
前述の杉谷チャノバタケ遺跡は、約2000年前(弥生時代)の環濠集落遺跡です。発掘されたのは炭化した米粒の塊で、現在のおにぎりのようにお米を炊いて握ったのものではなく、おそらくお米を蒸した後に焼いたものと考えられており、正式には「チマキ状炭化米塊」といいます。奈良時代の『常陸国風土記』には「握飯(にぎりいい)」の記述があり、これが現在のおにぎりにつながる料理の最古の記述とみられています。
現代のおにぎりの直接の起源は、平安時代の「屯食」(とんじき)だと考えられています。これは蒸したもち米を握り固めたもので、貴族が催しの際に下仕えの者に振るまったそうです。鎌倉時代の承久の乱(1221年)の際には、幕府側の武士に梅干し入りのおにぎりが兵糧として配られたといいます。また、鎌倉時代末期には、現在のようにうるち米(もち米でない普通のお米)が用いられるようになったそうです。
戦国時代には、おにぎりは武士の兵糧として重宝されました。
江戸時代には弁当に用いられ、五街道を行き交う旅人や、農作業を行う農民などが食したそうです。また、アサクサノリの養殖が始まった元禄時代に、海苔を巻いたおにぎり(海苔巻き)が発明されたといわれています。
1885(明治18)年に、日本鉄道宇都宮駅で、黒ゴマをまぶした梅干し入りおにぎり2個とたくあん2枚を竹の皮に包んだものが販売されました。これが日本初の「駅弁」だとの説があります。