×

気になるキーワードを入力してください

SNSで最新情報をチェック

脂肪肝の原因は酒でも脂でもなく

泣く泣く帰ったその数日後、血液検査の結果が出た。コレステロールと中性脂肪の数値が異常に高く、脂肪肝の疑いがあるという。生来おのれの肉体の頑健さを信じている私にとって、この診断は衝撃的であった。詐欺の疑いとか、暴行傷害の疑いはかけられたことがあるが、脂肪肝の疑いとはまさしく青天の霹靂(へきれき)である。

うまい抗弁も思いつかず、弁護士を呼ぶわけにもいかないので、とりあえず黙秘権を行使するほかはなかった。すると医者は屈強な看護婦に命じて、私を薄暗い別室に連行せしめた。

何だか拷問にかけられそうな気がして観念すると、医者はやおら私の腹部に、多少の快感を伴う液体を塗り始めた。超音波検査をするのだと言う。

まさか痛いんじゃないでしょうね、と訊くと、絶対に痛くはないと言うので、ちょっとでも痛かったら殴るぞという条件付きで検査を開始した。

小さな機械がベトベトになった私の腹の上を滑り、モニターに肝臓の姿が浮き出た。

「ね、まっしろでしょ。これみんなアブラです。立派な脂肪肝ですよ」

検事から決定的な物証を提示されたように、私は押し黙った。

「とりあえずお酒はやめなさい。食事は脂っこいものは控えて、量も減らすこと。いいですね。体重を5キロ落としてからもういっぺん検査してみましょう」

私はホッと胸を撫で下ろした。どうやら命にかかわるというほどの事態ではないらしい。やめるも何も酒ははなから飲まないし、近ごろ胸ヤケがするので脂っこいものは控えている。しかも自他ともに認める一流サウニストであり、1日の入浴で3キロやそこいらは落とす自信がある。その気になれば5キロのダイエットなんて、今日の明日にもやってみせる。

「ハッハッ、なあんだ。そんなことでいいんですか。楽勝、楽勝!」

私は急に明るくなって、病院を後にした。

ところで、よく人に言われることなのであるが、私は一見して大酒飲みに見えるんだそうである。そういう人相というものが果たしてあるのかどうかは大いに疑問であるが、ともかくつきあいの浅い出版社は、必ずといって良いほど、盆暮にはウイスキーやブランデーを贈ってくる。

私にとってたいそう不幸であったことは、診断を下した医者も私の人相に対して同様の印象を抱き、まさかこの顔でトップスのチョコレートケーキやユーハイムのフランクフルタークランツを、朝に晩にむさぼり食っていようとは考えてもいなかったのである。

こうして無知な私は、メシを減らした分だけ甘味を増やし、そのうえ毎日サウナに通って5キロの減量をするという、医学的にいえばたぶん最悪の療法を試みたのであった。

ほぼ一月の後、体重こそ減ったが気持の悪さも肌の湿疹もいっこうに治まらぬまま、再検査と相成った。

当然のことながら、中性脂肪の数値はさらにはね上がっていた。データを見ながら医者は、「おっかしいねえ……」と、私を睨みつけた。「本当にお酒をやめましたか? ごはんは減らしましたか?」

「はい。お酒はタダの一滴も飲んではいません。メシもかつて使用していた茶碗は犬にくれてやり、子供用のミッキーマウスの柄の茶碗で1膳、と決めています。天プラ、トンカツ、ステーキ、その他脂っこい食い物はいっさい口にしてはいません」

「ほんとに?」

「はい。決してウソではありません。何なら私の作家生命を賭けてもよい」

そのとき、診察室に看護婦が入ってきて、言わでものことを言った。

「先生、浅田さんからこれ、いただきました」

それは、私が日ごろのご愛顧に報いるために持参した、トップスのチョコレートケーキであった。「やあ、こりゃどうも」と言ったなり、医者の笑顔はハッと凍えついた。

「……あなた、コレ、好きですか」

「ハ? ……ハイ。好きですけど……何か」

こうして私の病因は明らかになった。

しかし、誰が何と言おうと甘いものはやめない。甘味を断ってまで長生きをする気はさらさらない。

どうか皆様の周辺に名産の甘味があれば、編集部あてにご一報下されたいと切に思う次第である。

(初出/週刊現代1995年11月11日号)

『勇気凛凛ルリの色』浅田次郎(講談社文庫)

浅田次郎

1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『日輪の遺産』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。

icon-gallery
icon-prev 1 2
関連記事
あなたにおすすめ

この記事のライター

おとなの週末Web編集部 今井
おとなの週末Web編集部 今井

おとなの週末Web編集部 今井

最新刊

全店実食調査でお届けするグルメ情報誌「おとなの週末」。5月15日発売の6月号では、「うまくてエモい!…