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シングルマザーで始めた人生最大の挑戦 温かい接客、そして病みつきになる味

しかしながら飲食の経験はあるもののラーメンの経験・知識は全くありませんでした。お金も時間もないため1カ月間だけラーメン店で修業をし、独学でラーメン作りを始めることになりました。

通常、豚骨は骨を割ってダシを取るのですが、小栗さんはそのまま骨を入れ「骨は割っていれるものだよ」と出入りの業者さんから教えてもらうほど知識がなく、それでも独学で試行錯誤を重ねました。

そして辿り着いたのが「”こってり”だけど”すっきり”」した唯一無二のとんこつ醤油ラーメン。創業は1988(昭和63)年。小栗さんが41歳の時。シングルマザーで5歳の息子を育てながらのオープンでした。

創業当時のラーメン

当時、ラーメン業界は“環七ラーメン戦争”の真っ只中。小栗さんが選んだ場所は、環七沿いの西武新宿線の野方駅、JR中央線の高円寺駅のどちらからも遠い、人通りの無い10坪の小さな木造のスナック居抜きでした。この立地は飲食店としては成立しない場所ではありましたが、1500万を借り入れて「これでだめだったらもうどうにもならない。やるしかない。必ず行列店にしてみせる!」と強い気持ちをもって開業しました。

「野方ホープ」本店(1993年撮影)

長男は朝、保育園に預け、夜迎えに行き、2階の住居で育てるといった日々が続きました。今では当たり前のことかもしれませんが、小栗さんは当時ラーメン店では意識されていなかった温かい接客をこころがけていました。

「野方ホープ」本店(1993年撮影)

何度もお越しいただくお客様には「いつもありがとうございます」と顔を覚え、遠方からくるお客様には「遠方からありがとうございます」と女性店主だからこそ気づく気配り、そして、独学ながら試行錯誤の末に誕生した「一度食べたら病みつきになる味わい」により、徐々にお客さんが増えていきました。

そして創業から4年経った頃、念願の行列ができ始めました。

行列ができ始めた頃の本店

この時小栗さんは「お客様への感謝で涙が止まらなかった」と、あの日のことは自分の原点であり、絶対に忘れられない1日だったとのこと。

その評判はさらに広がり、この年にはわずか11席の店舗ではあったものの、多い日で1日700人ものお客さんが訪れる大繁盛店となりました。

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おとなの週末Web編集部
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