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ラー博のスクープ!函館のラーメンのルーツとなる中国の麺料理「養和軒」の南京そば

誘致交渉と同時に函館のラーメンの歴史を調査している中、明治17年に「養和軒」というお店があり、当時の函館新聞の記事から「南京そば」を提供していることがわかりました。

養和軒の広告(函館新聞/明治17年4月28日)

もともと函館は横浜や長崎同様に開港をした都市であるため、古くからラーメンのルーツとなる中国の麺料理が存在していたのではないかと推測していました。この発見は、多くのメディアから注目を浴びました。

養和軒の外観(商工函館の魁/明治18年)

この歴史的発見をもとに、再度岡田さんの元を訪ね、「マメさんを復活させましょう!」と嫌われないようにしつこく交渉を重ねたのですが、首を縦には振ってくれませんでした。

しかしある日、岡田さんから来てほしいという連絡をいただきました。なんと岡田さんは従業員に内緒で、昔のマメさんの味を再現していたのです。岡田さん曰く「実は私が一番マメさんの復活を望んでいました。しかし私も経営者ですので、従業員の前でそんな簡単にやりますとは言えませんでした」とのことでした。

こうして15年の月日を経てマメさんが復活することとなりました。

ラー博への出店 創業者が1週間、客に説明

マメさんは1996年からスタートした「新横浜着 全国ラーメン紀行」の第8弾として期間限定で出店していただきました。

復活したマメさんの味は、元々のマメさんの味をベースに新たな郷土のエッセンスを加えた温故知新のラーメンであることから「新・函館ラーメン マメさん」という屋号になりました。

2000年当時の外観

そしてこの出店に合わせ、これまで調べ上げた函館のラーメンの歴史、マメさんの復活劇、北海道三大ラーメン、そして函館の魅力を詰め込んだ冊子「RAUMENIST ラーメニスト」を100円で販売しました。

2000年に発売された「ラーメニスト」

岡田さんは、運営を従業員に託し、社長業があるにもかかわらず、開店から1週間、来館されるお客様1人ずつにこのラーメニストを元に丁寧に説明をされておりました。

2001年、函館に帰郷オープン

2001年2月25日にラー博の営業を終え、その年の4月、地元函館に帰郷オープンをしました。地元からの期待も高く、多くのお客様、そしてメディアに紹介され、行列店となりました。

2013年に函館市末広町から函館市宝来町に移転。2017年にはマメさん創業者の岡田芳也さんはご逝去され、現在はご子息が厨房に立たれております。

2001年に帰郷オープンした「マメさん」(現在は移転)
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「マメさん」のラーメン 背脂の浮くインパクトの強い塩ラーメン...
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