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最大の賛辞が最大の冒涜に

国王が帰ったあとで、バテルはコンデ大公に呼ばれた。1皿の魚料理も出せなかった責任は重大だ。きびしい𠮟咜はもちろん、多分厨房長の職を失った上にフランス中の物笑いのタネにされることだろう。

ところが意外だった。大公は悄然とやってきたバテルを抱きしめ、頰ずりまでして上機嫌に叫んだ。

「バテル! 私は果報者だ。国王はきみの料理で身体が溶けてしまいそうだといわれた。その上、私に10の城を持つ者よりも、バテル1人を持つフランス一の幸せ者だといわれたんだ」

「し、しかし、魚の馬車が到着しませんでした。私はとんでもない失敗を……」

「魚? 魚がどうした。そんなことはどうでもよろしい。国王はきみに何か褒賞(ほうしょう)をあげたいとおっしゃってるんだぞ」

バテルの耳には、そのあと延々と続いた主人の讃辞は聞こえなかった。魚? 魚がどうした? とは、味覚芸術に対する何という侮辱。そんなことはどうでもよろしいとは、何という無関心。わかっていない、料理というものが理解されていない。国王も、自分の主人さえも、魚料理が登場しなかったことに気がついていないのだ。

「そんなことはどうでもよろしい」

ああ、これ以上の冒瀆があるだろうか。バテルの受けた衝撃は悲痛だった。

翌早朝、つまり1671年4月23日、剣で自分の胸をつらぬいたバテルの自殺体が調理場で発見された。厨房長にふさわしい死に場所といえた。まだ36歳の若さであった。この自殺のニュースは、しばらくは17世紀のフランスの話題をさらっている。というのも、政治家は演説の中でバテルを、

「責任に殉じた国民だ」

といって持ち上げたし、軍人たちは調理場を戦場にたとえて、彼は〈名誉ある戦死者〉だと激賞した。また教育者や哲学者グループは、芸術の主張にいのちを賭けたバテルこそ、〈思想の英雄〉と呼んでふさわしい男だといいはやした。

ところが肝心のルイ14世だが、側近からバテル自殺の知らせを聞かされると、次のようにいわれたというから、やはり並のお方ではない。

「だれかあの男から、鳩のクリーム・ポタージュの作り方を教わらなかったかね?」

(本文は、昭和58年4月12日刊『美食・大食家びっくり事典』からの抜粋です)

『美食・大食家びっくり事典』夏坂健(講談社)

夏坂健

1936(昭和9)年、横浜市生まれ。2000(平成12)年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。その百科事典的ウンチクの広さと深さは通信社の特派員時代に培われたもの。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。

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おとなの週末Web編集部 今井
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