1980年創業、カウンター13席からのスタート
げんこつ屋が産声を上げたのは1980年(昭和55年)4月。場所は、東京・新高円寺。僅か6坪、カウンターのみ13席の小さなお店からのスタートでした。
創業者の関川清さん(1945年12月18日、東京生まれ)は、幼少のころから将来は何かしらの商売をしたいと思っていたようで、1968(昭和43)年、関川さんが23歳の時、神奈川県川崎市の戸手町で弁当店を開業。
お店は出来立てをモットーに工夫を重ね、近所の企業の利用を中心に、仕出しや、飲食店への卸などで大変評判となり、1日300食~400食、1日30万円ほどを売り上げていました。
ピーク時は35名の従業員を抱えるほどまでに成長。しかしながら弁当店は利幅が低く、思うような利益が出ないこと、そしてコンビニエンスストアの台頭など競争も激化していたことから、関川さんは将来性を感じていなかったようです。
そこで関川さんはラーメン店に目をつけました。関川さんは日ごろから話題のラーメン店を食べ歩いていたのですが「自分だったらもっと美味しいものを作れる」と感じたようで、弁当店を従業員に任せ、ラーメンの研究を始めたのです。多い日は1日5~6軒食べ歩き、研究に研究を重ねました。
繁盛していた弁当店からの転業に対しては家族・従業員から反対はありましたが、ラーメン店に大きな可能性を感じていたため、研究のめどが立つとすぐに店を閉めました。
「和風スープ×白湯スープ」料理としてのラーメンを目指す
関川さんはラーメンを大衆食ではなく料理と考え、試行錯誤を重ねました。
まるで科学の実験のように様々な食材を少しずつ組み合わせて理想の形に近づけました。
1980年の開業時、既にげんこつ屋のベースは完成していました。
関川さんは研究の結果、和風スープと白湯スープの組み合わせがベストだという結論を出していました。スープ材料には鶏、豚、背脂、香味野菜などを約12時間煮込んで白濁させた白湯スープと、マグロ節と利尻コンブでとった和風スープをブレンドするWスープ。90年代後半から2000年前半に一世風靡した白湯×和風の原型は既にこの時点で、げんこつ屋がやっていました。
麺は上州産の高品質の小麦粉を使用し、かんすいの使用量を極力抑えた多加水麺。ただ単にコシがある麺ではなく、ソフトな歯ざわりを重要視していました。
この技法を40年以上も前からやっていたことを考えるとてつもなく凄いことです。
げんこつ屋という屋号は、関川さんが命名。「げんこつで大事なものを握りしめる。そして、そのげんこつで握りしめたものを次世代に伝えていきたい」という意味で、妥協を許さず常に挑戦し続ける精神を表しています。