どんな拘束もするりと抜ける秘伝の奥義
──と、こういういきさつがあって、愛犬パンチ号はわが家の一員となった。その後、犬猫の餌代を必死で稼ごうとしたせいか、破れた家産は復興し、原稿は売れ、家族は畑の中の小屋から脱出してお屋敷街に引越した。
甘やかされて育ったパンチは、ひどくわがままである。いつまでたっても稚気が抜けず、主人の言うことをきかない。
猫に囲まれて育ち、経済的事由から同じ食器でカツブシごはんを食わせ、夜も猫と同じように抱いて寝たので、てめえが犬だという自覚がないようなのだ。たぶん自分のことを猫だと思いこんでいる。
犬としての知恵が足らず、人の言うことをきかず、鎖や紐をいさぎよしとはせず、しかも器用にほどいてしまうのは、やはりおのれを猫と信ずるがゆえなのであろう。ただし、いつまでたってもニャーとは鳴かない。
猫どもはその後、自然淘汰して3匹になってしまった。もちろん彼らは鎖につながれてはおらず、勝手にご近所をうろついている。
だからパンチ号もしごく当然の権利のように鎖をほどき、自由を謳歌しているわけなのであろうが、犬が猫の真似をすればご近所にさまざまのご迷惑をかけることになる。
わずか1ヵ月の間に拘束具を3種類も買いかえた。一応、飼主としての努力はしているのである。
しかしどのような器具も、たちまちスルリとはずしてしまう。もしかしたら人間がそうするように、首のうしろに手を回してはずしているのではあるまいかと思い、2階のベランダに身を隠して様子を見ていた。
やはりそうではなかった。まず柱の周囲をぐるぐると回って鎖を巻きつけ、四肢をふんばって首輪をスポリと抜くのである。
そこで一計を案じ、前足をくぐらせて背中でとめる器具をつけた。これにはさすがに往生したようであったが、数日後、書斎の縁先でただいま、と笑ったのであわてた。叱りながら庭に回ってみると、ナゼか新しい器具が姿脱ぎに脱却せられているのであった。
どう考えても、忍びの者のごとく関節をはずして抜けたとしか思えなかった。
この謎はいまだに解けない。パンチにとっても秘伝の奥儀であるらしく、私が身を隠して観察しているうちは気配を見せない。しかし、こっちも締切りとかがあるものだから、そうそう付き合ってもおられずに書斎に戻ると、たちまち秘術を使って縁先を走り過ぎるのである。
きょう、ついに肚に据えかね、がんじがらめに縛り上げた。拘束具の上にビニール紐を何重にも通し、犬小屋も柱から離した。そうでもしなければこっちが仕事にならぬ。
教育が悪かったのだから、親としてこんなことをするのはあいすまぬ、と思うのだが。
待てよ。いま縁先を白いものが通り過ぎたぞ──。
(初出/週刊現代1996年12月28日号)
浅田次郎
1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。