前田裕太流“本の選び方”
僕は、本屋さんで本を眺めるのが好きなので、目についたものを手にとるようにしています。時代小説やエッセイ、コラム、SFから純文学まで、こだわらずに買っています。
そうすると、もちろん自分の感性には合わない作品もある訳ですが、逆に面白い!と思う発見もあるんです。
最近だと、ショーペンハウエル著の「知性について」を読んでいます。こればっかりは他人に勧めるようなものではなくて自分が興味を持って手にとった本なので、少し哲学色が強くてハードな内容になっていますが、色々なジャンルを手にとることで、新たな発見があるのは間違いありません。
是非、相談者の方も、自分の好きな作家さんや作品の言語化を図ったり、色々な作家さんの作品を食わず嫌いせずに巡ってみてもらって、胸を張って本が好きと言えるようになってもらいたいです。
「好き」と「詳しい」は比例しない~担当編集者からのひとこと~
「好き」と「詳しい」は、似て非なるものだなあと思う場面が多くあります。
例えば、私は餃子が好きなのですが、「こだわる力」と「記憶する力」が弱いので、まったく詳しくありません。
餃子は、「好き」と言うと「じゃあ、あの店行ったことある?」と聞いてもらうことが多いのですが、「ある」と答えられたことはほとんどありません。後から調べたら、行ったことがあったのに覚えていなかっただけ、ということもあります。
でも、小学生の頃、夕飯に餃子が出れば、特大サイズを15個平らげ、いまでも家の冷凍庫には必ず冷凍餃子をストックし、コンビニでご飯を買おうとすると、自然と餃子を探しています。
ニンニクが入っていた方がご飯やお酒には合うかなあという気がしなくもないですが、別に入っていなくても大好きです。餃子に対して、「こうであってほしい」というこだわりは一切ありません。
たくさん美味しいお店を知っているけれど、「餃子は皮が薄めでパリパリ、ニンニク入りで野菜多めじゃないと」などとこだわりが強い人と、お店にはまったく詳しくないけれど、「餃子が餃子であればいい」という私と、一体どっちが胸を張って「餃子が好き」と言えるのか……。