京都へ先回り
皇居から東京駅までの馬車列で使用した馬車は、翌日には京都の馬車列でも使用するため、大正天皇が京都へ到着する前に運び入れる必要があった。大正天皇が、1915(大正4)年11月6日の午前7時に東京駅を出発したことを見送ると、馬車は汐留駅(現在は廃止になった新橋駅近くにあった貨物駅)へと移動し、そこから貨車に載せられて京都へと向かう段取りが組まれた。
そのタイムリミットは、大正天皇が京都駅へ到着する7日の13時55分であった。これなら余裕だろうと思った方もいるだろうが、当時の貨物列車は、汐留から京都(正確には京都駅近くの梅小路駅)まで、急行貨物列車でさえも26時間も要したという。それに馬車の積み込みと積み下ろしの作業時間を加味すれば、30時間以上かかる計算になるのだ。仮に京都へ7日の正午に到着しようとすれば、汐留を6日の午前8時前には出発しなければならない。
そこで鉄道省は、専用の「臨時急行貨物列車」を仕立てて、汐留と京都を19時間で結ぶ計画を打ち立てた。汐留駅を6日の正午12時に出発し、京都駅近くの梅小路駅に7日の午前7時55分に到着させるというものだった。そうすれば、名古屋で一泊している大正天皇よりも先行して、京都へ馬車を運び入れることができたのだ。
専用貨車の新造
これまでも、天皇や皇族の地方へのお出かけの際には、鉄道によって馬車の輸送は行われていた。その輸送方法は、屋根のない貨車にシートをかけただけという簡素な方法で運ばれていた。これは、馬車が積めるほどの大型の屋根付きの貨車がなかったためで、さすがに御大礼という行事にもなると、それではよろしくないということになり、新たに専用の貨車「シワ115形」24両を新造することになった。
そのなかの1両は、大正天皇が乗る「特別儀装馬車」を積載するためだけに造られた「シワ117号」で、室内の窓にはカーテンが取り付けられ、床には絨毯(じゅうたん)が敷かれるなど、まさに特別仕様の豪勢な貨車であった。
新製される24両の専用貨車に対して、御大礼の馬車列に使用する馬車は9種類120台にもなった。ただし、それらすべてに対して、専用の貨車を用意することは到底できるものではなかった。そこで専用貨車の使用は、天皇や皇族方が使用する4車種(特別儀装馬車、御料儀装馬車、普通御料馬車、儀装馬車)26台だけに限定し、24両の新製貨車をやりくりして輸送したのだった。
文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会皇室担当写真記者。1970年、東京都生まれ。10歳から始めた鉄道写真をきっかけに、中学生の頃より特別列車(お召列車)の撮影を通じて皇室に関心をもつようになる。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物を通じた皇室取材を重ねる。著書に「天皇陛下と皇族方と乗り物と」(講談社ビーシー/講談社)、「天皇陛下と鉄道」(交通新聞社)など。