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寝台設備付きのクルマ

昭和天皇の后であった香淳皇后は、1977(昭和52)年7月に静養先の那須御用邸で腰椎を骨折され、以降はお出ましが少なくなっていった。その後も、公務を控えられることが多くなり、1980(昭和55)年11月には“ご体調に配慮したクルマ”を用意することが内々に取り決められた。このクルマは、5台あった昭和天皇の御料自動車「ニッサン・プリンスロイヤル」のうちの1台を秘密裏に改造したもので、1981(昭和56)年3月に完成させた。その名称は、「寝台車」とすることは具合が悪いということから、「寝台設備付き乗用車」と呼ばれた。

この“秘密のクルマ”は、1987(昭和62)年2月の高松宮宣仁(のぶひと)親王の葬儀で“霊柩車”として使用され、世間にその存在を知らしめることとなった。実はこのとき、34年を経ての皇族葬儀であったため、その使用をクルマにするか馬車にするかで、1週間も議論が交わされたという逸話が残されている。

1980(昭和55年)年から秘密裏に「寝台設備付き」へと改造された御料車「日産プリンスロイヤル」=2004(平成16)年12月16日、豊島岡墓地(東京都文京区大塚)
1980(昭和55)年に改造した際の「日産プリンスロイヤル」の後部室(寝台設備)。この寝台設備は、昭和天皇の「大葬の礼」の際に再び改造された=写真/宮内公文書館蔵

呼び名が変わる霊柩車

ここまで、”皇室の霊柩車”についてひも解いてきたが、皇室には「霊柩車」という呼び方は存在しないという。いわゆる霊柩車に相当するクルマは、現在は「寝台車」と呼ばれ、車検証にもその用途として「患者輸送車」や「特殊自動車」と記載されている。そんな寝台車だが、皇室のなかでは運用中の状態により、その呼び方が変わる。天皇、皇后、皇太后のために使用される場合、回送している状態では「轜車」、霊柩が乗ると「霊轜(れいじ)」と呼ぶ。同様に皇族方に使用される場合も、「葬車」、「霊車」と呼び分けられる。

皇族の葬儀では、1987(昭和62)年以降は都内の民間斎場で火葬されるのが慣例となっているが、その際に斎場へ向かう車列には、御料車の寝台車は使用しない。このため、平成年間では「患者輸送車」として登録されている品川ナンバーの寝台車「日産キャラバン・スーパーロング(ハイルーフ仕様)」が2台あった。なお、この2台ともに廃車されており、現存しない。

現在の”御料車の霊柩車”にあたる寝台車は、現行のリムジン御料車と同じタイプのトヨタ「センチュリーロイヤル」の特注車が導入されている。それまでは、“秘密裏に改造”された「日産プリンスロイヤル」が2008(平成20)年まで使用されていた。プリンスロイヤルの時代は“寝台車”に属しながらも“御料車”と呼ばれていたが、現在は「寝台車」と呼ばれる。ちなみに、この「センチュリーロイヤル」寝台車は、ハイルーフワゴンタイプの前席3人、後部室1人の4人乗りである。そのお値段は、税込み6300万円なり。

葬儀のため宮邸へと回送されるトヨタ「センチュリーロイヤル」寝台車(前方)と「日産キャラバン」寝台車(後方)=2016年11月4日、皇居乾門(東京都千代田区千代田)
トヨタ「センチュリーロイヤル」寝台車の後部形状は、品のよいデザインに仕上げられている=2012(平成24)年6月14日、東京都港区元赤坂

文・写真/工藤直通

くどう・なおみち。日本地方新聞協会皇室担当写真記者。1970年、東京都生まれ。10歳から始めた鉄道写真をきっかけに、中学生の頃より特別列車(お召列車)の撮影を通じて皇室に関心をもつようになる。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物を通じた皇室取材を重ねる。著書に「天皇陛下と皇族方と乗り物と」(講談社ビーシー/講談社)、「天皇陛下と鉄道」(交通新聞社)など。

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