ノーマル車は1台もなし!!
初代bBは2000年1月7日の東京オートサロン2000で正式発表され、2月3日から販売を開始。販売チャンネルはトヨタの若者向け車種を扱っていたネッツ店だ。
クルマ好きの若者が大集結する東京オートサロンは、若者をターゲットとした初代bBの新車発表の場として打って付けなのだが、トヨタはその場にノーマルカーを一台も展示しなかったのだ。トヨタに関連するのは、モデリスタのストリートビレット、ディーラーオプションを装着したキャルルックセレクション、スーパーVセレクションの3台のみで、そのほかはアフターで人気のあったDAMD、KEN STYLE、ジアラ、WALDといったドレスアップブランドによってカスタマイズされたモデルだけを展示。
当時筆者はベストカー編集部員として現地に取材に行ったが、正直これには驚かされた。同時にトヨタの本気を感じた。
初代bBのマーケティング手法が86へと引き継がれた
トヨタで言えばモデリスタ、TRDは新型車開発の段階からエアロや各種パーツの開発が可能で、新型車と同時に商品を発表できる。それに対し、アフターメーカーがパーツなどを開発するのは実車が発表されてから自らがクルマを入手するなどして開発が始まる。
しかし、初代bBは発表前の車両をアフターメーカーに供給し、自在に開発させたというのがポイントだ。トップメーカーのトヨタがクルマ界の常識を破り、自動車メーカーとアフターメーカーの共存の第一歩が始まった瞬間だったように思う。
多田氏が86と初代bBを手掛けていることが因縁めいていると書いたが、実はこの手法は86にも採用されたのだ。86はデビュー前に車両を提供するということはなかったが、デビュー翌年の東京オートサロン2013では、トヨタはチューニング、ドレスアップのアフターメーカーを多数集めて『86/BZRワールド』を展開したのだ。その後86はトヨタとアフターメーカーが共存共栄で進化してきた。
使い勝手のよさもヒットの要因
初代bBのエンジンは1.3L、1.5Lの直4DOHCで、トランスミッションはコラム式4ATを採用。これはフロントシートをアメリカンスタイルのベンチタイプにするため。2名がけながら、サイドスルーも可能と使い勝手がいい。初代bBはアメリカのサイオンブランドでも販売されたが、ATはフロア式での5MTの設定もあった。
コンパクトかつ四角いボディなので前後の見切りがいいため、トヨタがターゲットとした若者だけでなくファミリー層まで幅広い人気となった。
初期受注は月販目標の5000台に対し3万2500台。ブランニューモデルながら5000台を目標にするトヨタも凄いが、その思惑をはるかに超える反響により6.5倍を受注。初期受注だけでなくその後も順調に売れた。