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個性的なオープンデッキは苦戦

2001年にはピックアップトラックタイプのbBオープンデッキを追加。4ナンバー登録の商用車ではなく、5ナンバー登録の乗用車だった。実はこのオープンデッキは、東京モーターショー2019に出展されていたのだ。

ボディ補強などによる重量増もあったので、エンジンは1.5L、直4のみの設定。駆動方式はFFのみで4WDは設定されなかった。ドアは運転席側1、助手席側が2の1+2の変則3ドアで、助手席側はピラーレス(Bピラーがない)の観音開きドアとなっていた。

ラゲッジ部分をデッキ化したオープンデッキは意欲作だったが、販売面では苦戦

後席からリアウィンドウを跳ね上げ、デッキスルードアを倒せば、デッキ部分とリア部分をつなげることができ、荷室スペースを拡大することができた。乗降性にも優れいろいろ若者が楽しめるように工夫が凝らされていたが、販売面では苦戦。2003年3月末をもって生産終了となってしまった。

オープンデッキは助手席側はBピラーのない観音開きドアを採用

イケイケのトヨタの口火

思い返せば、トヨタがイケイケ状態になったのは初代bB登場あたりからだった。86/BRZの登場により、瀕死の状態だったアフターメーカーが息を吹き返して盛り上がったのだが、自動車メーカーとアフターメーカーの共存共栄を目指したという点では初代bBの成功は大きな要素だ。

トヨタはよくも悪くも『80点主義』などと称されてきたが、bB以降は何かやってくれそうとクルマ好きに期待を抱かせるメーカーへと変貌していった。初代bBでのあらゆる戦略はトヨタのイメージを変える契機となったと言っていいかもしれない。

トヨタにとってbBはカローラやクラウンのような本流ではないが、ある意味『トヨタの革命児』だったのかもしれない。

音楽をこよなく愛する若者にアピールするため、初代bBのカタログはレコードジャケットをモチーフとしていて、カタログとしては異例な正方形だったのもトヨタのこだわり

【初代トヨタbB 1.5”X Version” 2wd主要諸元】
全長3845×全幅1690×全高1640mm
ホイールベース:2500mm
車両重量:1040kg
エンジン:1496cc、直4DOHC
最高出力:110ps/6000rpm
最大トルク:14.6kgm/4200rpm
価格:157万8000円(4AT)

マイナーチェンジ後はフロントバンパーが大型化され迫力を増した

【豆知識】
大ヒットした初代の後を受け、2代目bBは2005年にデビュー。ボディサイズ、基本的なプロポーションは初代を踏襲していたが、曲面を多用していた。プラットフォームは初代がファンカーゴだったのに対し、2代目はパッソとなりダイハツと共同開発。音楽に特化したキャラが与えられ、動くミュージックボックスなどとアピール。くつろぎ空間を演出する『まったりシート』も採用。デビュー当初は人気だったが、エコカー減税の対象外だったこと、初代ほどの新鮮さがなかったこと、ドレスアップ素材としては初代ほど魅力的でなかったなどの理由で徐々に販売台数を落とし、2016年に生産終了。その後継がタンク/ルーミーとなる。

2代目bBは初代に比べてデザインは洗練されたが、若者への訴求力は低下

市原信幸
1966年、広島県生まれのかに座。この世代の例にもれず小学生の時に池沢早人師(旧ペンネームは池沢さとし)先生の漫画『サーキットの狼』(『週刊少年ジャンプ』に1975~1979年連載)に端を発するスーパーカーブームを経験。ブームが去った後もクルマ濃度は薄まるどころか増すばかり。大学入学時に上京し、新卒で三推社(現講談社ビーシー)に入社。以後、30年近く『ベストカー』の編集に携わる。

写真/TOYOTA、モデリスタ、CHEVROLET、ベストカー

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市原 信幸
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