家系ラーメンの開祖「吉村家」に弟子入り
横浜で名を馳せた“家系御三家”とは、「吉村家」「本牧家」、そして、横浜・六角橋の「六角家」のことです。その「六角家」創業者の神藤隆さんは、高校卒業後の5年間、サラリーマンをしていました。
神藤さんによると、「父親がトラック運転手をしていて、帰ってくる時間がまちまちだったため、自分は安定したサラリーマンを選びました」とのことでした。しかし、サラリーマンの仕事が性に合わず、その後は洋食のコックとして10年近く働きました。そして、いざ店を持とうとしたとき、洋食ではなく、自分が昔から好きだったラーメン店をやりたいと思ったのです。
そこで、いわゆる“家系ラーメン”のルーツである「吉村家」に弟子入りしたのでした。その後、神藤さんは、「吉村家」の2号店である「本牧家」で店長を務め、合計7年間修業したのちの1988年、横浜・六角橋に「六角家」をオープンしました。六角橋にお店を出したのは当時、横浜きっての賑やかな商店街・六角橋商店街があったからとのこと。そこで店名も、その地名をとって「六角家」と名付けました。
全国に店舗展開、そして本店閉店、破産
太い麺としっかりしたとんこつ醤油のスープに、具はチャーシューとホウレンソウに、おおきな海苔。これぞ、家系ラーメンを築き上げた「六角家」の伝統です。
縁あって、1994年の新横浜ラーメン博物館のオープンメンバーとしてご出店いただきました。その後は2003年5月31日に、ラー博を卒業すると、店舗を増やし、多いときには全国に10店舗ほど展開をしていました。しかし、残念ながら体調を崩して2017年10月末に本店は閉店し、2020年には破産手続をとりました。そして、2022年10月5日、神藤さんは逝去されました。
そんな流れをくむ伝統の「六角家」ですが、現在は、神藤隆さんの弟さんが別経営で、横浜・戸塚で「六角家戸塚店」を運営し、その歴史をつないでいます。新横浜ラーメン博物館30周年企画「あの銘店をもう一度」で、2021年から神藤さんとやり取りをしていたことは、冒頭にも説明したとおりです。
そのときに神藤さんからいただいた命題は、「俺はできないが弟子がやるカタチでならば……」ということでした。そこで、協議を重ねたうえで白羽の矢が立ったのが静岡県浜松市にある「蔵前家」の袴田祐司さんでした。