世代交代。父の定位置で麺を上げる重圧
現在、「ふくちゃん」の本店を切り盛りしているのは順伸さんの長男であり、三代目の伸一郎さん。頑固一徹の職人であった父は、息子に対しても一切、ラーメン作りを教えません。「見て覚える」という昔ながらの職人のやり方だったため、伸一郎さんは見よう見まねでラーメン作りを覚えました。
そんなある日、店を仕切っていた父・順伸さんが突如倒れました。世代交代が最悪の事態で訪れました。その2日後、悩み抜いた伸一郎さんは「自分が釜前に立つ」と決意。姉たちは「伸一郎なら大丈夫」と信じ見守りました。そして伸一郎さんは、カウンター向かいの右奥で、麺をゆで、ラーメンを作り始めました。
伸一郎さんによると、「父の隣で10年近く一緒にやってきましたが、突如、父の定位置でやることになり、ものすごい重圧でした。目の前にいるお客さまは、長く通われている常連さんばかり。お客さまの顔を見ることすらできないほどの緊張でした……。最初の1~2年は常連さんからお叱りの言葉もいただきました。続けていくために、自分ができることはなんだろうと真剣に考えました」―。
定番のニンニククラッシャー。その先駆者だった
そして、伸一郎さんが出した答えは、「そのお客さまのために、一杯ずつ思いを込めてラーメンを作ること」でした。「ふくちゃんラーメン」の麺は昔ながらの博多の麺を使用しています。麺は低加水のため、濃厚なスープを吸い込み相性は抜群です。スープに使われる食材は創業以来、豚頭のみ。本来単一の食材のみで作られるスープはどうしても臭みがでるものですが、「ふくちゃんラーメン」のスープは臭みがなく、そのうえでコクがあります。秘密は、前日の「熟したスープ」と、今日作った「新しいスープ」とのブレンドでした。「新しいスープ」にはキレはあるが、コクがない。そのコクを引き出すのが「熟したスープ」なのです。
博多ラーメンで、今や定番となっている生ニンニクですが、クラッシャーで“つぶして食べる”という方法を最初に始めたのが「ふくちゃんラーメン」です。フレッシュなものをその場で食べてもらいたいと、スイス製のレモン絞り器を見つけ、クラッシャーとして使い始めたのでした。
ラー博出店では、二代目の娘さんが厨房に
新横浜ラーメン博物館への最初の出店は2004年8月でした。ただ、人手の問題があり、出店までには時間がかかりました。そこで白羽の矢が立ったのが、数年前に福岡に戻っていた順伸さんの次女・伸江さん。伸一郎さんの姉でした。伸江さんは念願だった自分の店をオープンし、週末だけ、「ふくちゃんラーメン」を手伝っていました。お母さん(順伸さんの妻)は、苦労して自分の店を持った娘に対して、「横浜へ行ってくれ」とはどうしても言えませんでした。でも、娘の伸江さんは母の表情から、「自分に横浜に行ってほしいのだな」というのがすぐわかったようです。
「あそこまで困っている母を見て、安心させてあげたかった」と、自分の店を閉めて横浜に行く決心をしたそうです。そして長女である姉の美子さんは、妹を少しでも安心させたいという思いから、ご主人の桑原英樹さんに同行をお願いし、伸江さんをサポートしていただきました。私たちは本当に伸江さんに頭が上がりませんし、感謝しかありません。
■ふくちゃんラーメン
[住所]福岡県福岡市早良区田隈2-24-2
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¥4,380(税込)
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¥5,400(税込)
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¥5,100(税込)
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¥5,280(税込)