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北勢線112年の歴史

三岐鉄道・北勢線の112年にもおよぶ歴史には紆余曲折があった。そのはじまりは、1914(大正3)年の北勢鉄道の大山田(現・西桑名)駅~楚原〔そはら〕駅間の開業を起源とする。時代が昭和になると、動力を蒸気から電気へと転換し、1934(昭和9)年に北勢電気鉄道と社名を変更した。その後は、先の大戦の開戦前年となる1940(昭和15)年に公布された陸運統制令によって近隣私鉄やバス事業者との統合が推し進められ、1944(昭和19)年に三重交通へと姿を変えた。

戦後は1964(昭和39)年に三重交通から分離して三重電気鉄道となり、1965(昭和40)年には近畿日本鉄道(近鉄)と合併し、その後は長らく近鉄線の路線として営業を続けていた。2000年(平成12年)になると、累積赤字に業を煮やした近鉄は、経営改善のため北勢線の廃線を表明し、2002年(平成14年)には事業廃止届を提出。廃止は決定的なものとなった。

そのころ、三重県は慎重な構えを見せながらも、北勢線のバス路線への全面転換を主張していた。いっぽう、地元沿線市町では、「地域の公共交通」としての重要性が高いことなどを理由に、鉄道として存続させようと第三セクターによる運営継続を主張した。しかし、近鉄が計画した廃止期日までに第三セクターを設立することは到底無理だと判断され、また鉄道経営のノウハウもないことから、近隣を走る三岐鉄道に対して北勢線の運営を依頼した。これに同鉄道は、様々な条件を付けながらも、受け入れることを承諾した。こうして、2003(平成15)年4月1日に、三岐鉄道としての北勢線が誕生したのであった。

「三岐鉄道北勢線沿線マップ」。三岐鉄道北勢線ガイドブックより=資料出典/北勢線事業運営協議会

小さい車両ゆえの制約

ナローゲージの鉄道は、線路(レール)の幅も狭ければ、車両の大きさも小さくコンパクト。ゆえに、JRなどの路線に乗りなれていると、車内が狭く感じるのも無理はない。東京の新交通ゆりかもめや都営地下鉄大江戸線なども車両が小型ゆえに、狭く感じるものだ。

北勢線の車両には、長らく冷房がなかった。理由は、累積赤字ゆえに設備投資にまで手が回らなかったとする説や、小型の車両だけに冷房装置を屋根上に載せるための車体強度がなかったなど、いろいろあるようだ。その後、2006(平成18)年から車内の床上に冷房装置を車両ごとに1台ないし2台設置して、冷房化を行っている。しかし、いまでも一部の車両には冷房装置がないものもある。

北勢線の車両は、ナローゲージゆえにJR等の在来線車両に比べると車内は狭い=2026年9月6日、北勢線の車内で
三岐鉄道・北勢線の車両は当初、冷房装置を搭載していなかった。2006(平成18)年になり、床置き型の冷房装置を搭載した冷房改造車が登場した。それでも一部の車両は、未だに非冷房車のままである。楚原駅で=2026年9月6日、三重県いなべ市
冷房装置を搭載している電車は、車体側面にルーバーが取り付けられているのが特徴だ。東員駅で=2026年9月6日、三重県東員町
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土木遺産の「ねじり橋」と「めがね橋」
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