「旬の味覚、今昔」
旬と産地にこだわった江戸っ子
寿司の味は時代とともに変わってきました。特に昭和以降は大きく変わっています。寿司の味はなんといってもシャリ(飯)。そのシャリの味を決めるのは酢です。かつて日本が豊かになっていくなかで、安価な酒粕を原料とする赤酢から米を原料とする米酢に変わりました。鼻にツーンとくる酢の香りが特徴の赤酢は、酸味が穏やかでコクの深い米酢にとって代わられたわけです。
その当時、味が変わったのは寿司だけじゃありませんでした。たとえば洋菓子。昔のケーキはただただ甘いだけでした。ほとんどの日本人が甘さに飢えていたので、甘くさえしておけば売れた時代でした。それが徐々に甘さを抑えたものに変わっていきました。世の中が豊かになって、人々は甘さ以外の味を求めるようになったからです。
味の楽しみ方も時代の流れの中で変わってきました。農業技術が進み、〝ハウスもの〟全盛の昨今、ほとんどの野菜はいつでもスーパーで手に入ります。しかし、ひと昔前までは、どんな野菜もとれる季節は決まっていて、江戸っ子は〝旬〟というものを楽しんでいました。大根や胡瓜(きゅうり)、茄子(なす)……季節の野菜を心待ちにしていたので、いつ、どんなものが旨いのかを大人から子供までよく知っていた。「旬のものを食べると三日長生きする」と言われた時代でした。
旬を追いかける江戸っ子は、産地にもこだわりました。「谷中をくれ」と言えば生姜のことで、「深谷一本」と言えば誰でも葱(ねぎ)だとわかる。練馬や亀戸なら大根、早稲田のみょうが、滝野川の牛蒡(ごぼう)に人参。こんなふうに、産地の名前が入った野菜も多かった。「小松菜」も、今の江戸川区、小松川で多く採れたからその名が付いて広まったというわけです。
冬の鮃と夏の鰈
寿司屋のお客さんもよく知っていたので、旬のネタを用意していないと笑われました。
「そろそろ初鰹の季節だね。あるかい?」
お客さんにこう聞かれて、「今日はシケちゃってね。ないんだよ」と答えるならまだしも、「値が張るから仕入れなかったよ」などと言おうものなら大変なことになった。「なんだよ、イキじゃねえな」と笑い者になって、そんな店はやがて閑古鳥が鳴くようになったものです。
最近は、遠洋漁業の隆盛と冷凍技術の発達で、年中いろいろな魚が店先に並ぶようになりました。だからなのか、お客さんに「今日は何が旨いの?」と聞かれることが多くなりました。そんなときは返事に困るので、「俺以外は何でも旨いよ」と答えるようにしています。
冗談はさておき、旬を知る人が減り、季節感がなくなってきたのは、昔を知る人間には淋しいかぎりです。旬といえば、たとえば鮃(ひらめ)は冬のもので、「寒鮃」と呼ばれて人気のネタです。冬の間に脂が乗り、春になると脂が落ちます。したがって、夏になると「夏鮃は猫もまたぐ」と手のひらを返されるのですから可哀相な魚です。
一方、見た目が鮃と似ていますが、鰈(かれい)の旬は夏です。なかでも星鰈は最高級とされて値段も驚くほど高い。私に言わせれば、夏に脂が乗って旨くなる真子鰈の方がお勧めです。その中でも旨さでは、大分県の「城下鰈」にとどめを刺すでしょう。同じ大分県の「関鯖」「関鰺」と並ぶブランドになっているほどで、かつて日出城というお城の近くの海で獲れたことからこの名がついた真子鰈です。城下鰈が獲れる辺りは、海底から真水が湧き出て豊富なプランクトンが発生した場所だとか。良質の餌が泥臭さをなくし、刺身にすると真っ白でサッパリしてじつにいい味なんです。
江戸時代から知られた高級魚で、将軍家への献上魚でもあったことから「殿様魚」とも呼ばれていたそうで、食べるのは武士にしか許されなかったとか。庶民が食べると罰せられたというのですから、私たちはいい時代に生まれたものです。
ところが、関東ではどうも真子鰈の人気がなくて、気の利いた人でも煮物くらいしか思い浮かばない。姿形のよく似た鮃が高級魚として知られていることがあるからなのでしょう。「え〜、真子鰈? 鮃はないの?」なんて言われるのですから力が抜けます。ちなみにですが、鮃と鰈のよく知られた見分け方は「左ヒラメに右カレイ」。腹を手前に置いて、左に顔があるのが鮃で右にあるのが鰈です。