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江戸前寿司が誕生したのは、文政年間(1800年代初頭)の頃といわれている。

確立したのは江戸の寿司職人だった華屋与兵衛。東京都墨田区両国1丁目には「与兵衛鮨発祥の地」という記念碑も建てられている。元々、江戸の人は刺身と銀シャリが大好物。濃口醤油が近くの野田で作られていたこともあり、握り寿司は屋台のファストフードとしてたちまち人気となり、江戸中に広まっていったそうだ。

江戸前には、大きく分けてふたつの意味がある。ひとつは江戸の前、すなわち東京湾のこと。当時は魚介が豊富で、タコやハマグリ、赤貝、穴子、車エビなど、東京湾で獲れた寿司ダネを江戸前と呼んでいたのだ。もうひとつは、いわゆる仕事のこと。

冷蔵・冷凍技術もない江戸時代。魚介の鮮度が落ちる前に、塩や酢で〆る、煮る、蒸す、タレに漬け込むといった技法が生まれた。そのため、鮮度が落ちやすいマグロは不人気だったという。もっぱら食べられていたのは赤身のヅケだけで、中トロや大トロが提供されるようになったのは近年のことである。

人形町「き寿司」

人形町の街並みに溶け込む風情ある木造の一軒家。曇りガラスの引き戸を開けると、どこか懐かしい雰囲気の和の空間、そして柔らかな笑顔の職人たちが迎えてくれる。カウンターに座り、おきまりの握りを頼めば、流れるようなリズムで1貫ずつ供される。カジキの腹は芳醇な旨みを湛え、絶妙な〆加減の小肌はまろやかな味の余韻がしみじみ旨い。

幾重もの旨みが口の中で膨らむ煮穴子、素朴な甘さの鞍掛け玉子焼きまで、江戸前の仕事とはまさにこのことと思わせるネタが満載なのだ。数多くの寿司ダネを散らし、煮ツメや煮切り、わさびで味を調えた“酒が進む”ばらちらしも、また秀逸。昼から少し贅沢に江戸前寿司の流儀を学ぶ。そんな時にぴったりの一軒なのである。

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神田駅「神田笹鮨」...
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おとなの週末Web編集部
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