×

気になるキーワードを入力してください

SNSで最新情報をチェック

サラリーマンの街“新橋駅”のとなりに位置する「浜松町駅」。昭和の時代は、街のランドマークといえば駅前に建つ「世界貿易センタービル」があるくらいで、ほかに高い建物は皆無だった。駅至近の芝・増上寺の背後には東京タワーがそびえ建つ。かつて駅の海側には、国鉄の貨物ターミナルが拡がり、伊豆諸島へと向かう船舶が出航する竹芝桟橋や東京港埠頭、芝離宮恩賜庭園に代表される”歴史と緑”が融合するごく普通の街並みだった。平成の時代に入ると周辺の再開発が進み、今では高層ビルに囲まれたオフィス街へと変貌した。JRや東京モノレールの駅も、周辺の環境変化に合わせて駅舎のリニューアルが進行中だ。そんな変わりゆく浜松町駅とその周辺の今昔をふり返ることにしたい。

※トップ画像は、再開発が進む浜松町駅とその周辺。手前の池は旧芝離宮恩賜庭園=2026年6月16日、港区浜松町

icon-gallery

「め組のけんか」

JR浜松町駅の北口を出て芝・増上寺に向かって歩いていると、道端に建てられている「め組のけんか」の案内板が目にとまる。その説明文には、芝神明(現・芝大神宮)の境内で行われていた勧進相撲の力士と、町火消“め組”との間で起こった喧嘩〔けんか〕を題材にした、江戸で評判になった芝居「神明恵和合取組〔かみのめぐみわごうのとりくみ〕」のことが記されていた。

ここに出てくる「め組」とは、時代劇“暴れん坊将軍”でもおなじみの町火消め組のことで、徳川8代将軍・吉宗が行った“享保の改革”で制度化された今でいう消防団だ。江戸の町火消“いろは48組”あるうちのひとつである「め組」は、芝神明(→芝大神宮)のある港区芝大門から新橋駅周辺を管轄していた。関東のお伊勢さまと呼ばれる「芝大神宮」は、この案内板からすぐの路地裏にあり、2005(平成17)年には御鎮座1000年を迎えた第66代・一条天皇の時代(1005年)に創建された由緒あるお社〔やしろ〕だ。

駅前の通りをさらに進んだ突き当りには、徳川将軍家の菩提寺である芝・増上寺がある。その正面に建つ「三解脱門〔さんげだつもん〕」は現在修復工事中で、2032(令和14)年11月までその姿を見ることができない。増上寺の開創は1393(明徳4年)で、元々は千代田区麹町周辺に建立していたが、1598(慶長3年)に現在地へ移転した。

境内には、二代・秀忠、六代・家宣、七代・家継、九代・家重、十二代・家慶、十四代・家茂の計6人の徳川将軍ご墓所がある。この墓所には、各将軍の正室と側室のお墓も併設されており、なかでも14代将軍・家茂の正室であった皇女・静寛院和宮さまも埋葬されている。1955(昭和30)年代に行われたご墓所の学術調査の際には、和宮さまの副葬品のひとつとして、ガラス板(湿板写真)が発掘された。そのガラス板には、長袴の直垂に立烏帽子を身に着けた若い男性が写っていたとされるが、保存方法が適切ではなかったため、発掘した翌日にはそのお姿は消えてしまったという。なんとも残念な話だ。

浜松町駅(北口)の駅前通りに設置されている「め組のけんか」を記した案内板=2026年6月16日、港区芝大門
「め組のけんか」の案内板は、都営地下鉄大門駅のA6出口のそばにある=2026年6月16日、港区芝大門
都営地下鉄大門駅A6出口から裏路地へ入ると芝大神宮(芝神明)が鎮座している=2026年6月16日、港区芝大門
芝大門交差点に設置される初代・広重が描いた東都名所「芝神明と増上寺」のレリーフより=2026年6月16日、港区芝公園
修復工事中の芝・増上寺「三解脱門」。門を覆うように設置された工事用シートには三解脱門の絵が描かれている=2026年6月16日、港区芝公園
次のページ
日本一の高さを誇った旧・世界貿易センタービル
icon-next-galary
1 2 3 4icon-next
関連記事
あなたにおすすめ

関連キーワード

この記事のライター

工藤直通
工藤直通

工藤直通

最新刊

全店実食調査でお届けするグルメ情報誌『おとなの週末』。2026年6月15日発売の7月号の表紙を飾るの…