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新宿を根城に青春を謳歌していた

高校生になっても、学校と店を往復するような生活に変わりはありませんでしたが、それなりの青春はありました。兄に連れられて遊びに行っていた頃は、日劇ホールで、ロックンロール、ジルバにマンボにドドンパ。友だちと出かけるようになった頃はツイストが大流行りで、明けても暮れても体をねじって踊っていたのを思い出します。

学校では勉強はそこそこに、クラブ活動と寄り道が楽しくて仕方がありませんでした。自宅が中野、学校が世田谷だったので、根城にしていたのは、乗り換え駅の新宿。柔道、空手をたしなんでいたこともあって、町を肩で風切って歩いていました。

ずい分とヤンチャをした時代で、新宿の音楽喫茶にも顔を出すようになり、「オスロ」「マイアミ」「古城」「アシュレ」といった、今や伝説になった店に通っていました。中学2年から兄貴の勧めではじめたアイススケートも、高校になると学校の帰りに新宿で滑るようになりました。コマ劇場の前にあった「ミラノ座」という映画館が入っているビルの3階にスケートリンクがあったからで、懐かしいですね。

その間、〝遠征〟と称して銀座のジャズ喫茶「ACB」や渋谷のダンスホール「ハッピーバレー」などに足を伸ばしていました。多少のトラブルはありましたが、怖いもの知らずの若造でしたから気にも掛けませんでした。

いくら寄り道が楽しいと言ったって、店の仕事があるから夕方5時には戻らなくてはなりません。帰りはいつも駆け足です。厳しい兄貴だったので、顔を見ると小言ばかり。好きで手伝っているわけじゃねえやとふてくされていましたが、今思えば、兄貴に鍛えられたおかげで、若くして店を持てたようなものです。心から感謝しておりますが、当時は不満たらたら。学校の行き帰りの野試合(喧嘩)で憂さを晴らしていました。いつも顔は青タン、赤タンだらけで兄貴への言い訳がたいへんでした。中学から柔道、高校で空手をやっていたわりに勝ったり負けたりでしたが、硬派を気取ってつっぱっているのが楽しいと思える日々でした。

店では、この頃になるといっちょ前になってきて、付け台に立つのも物おじしなくなりました。「煙草を吸って酒を飲みながら寿司を食べて旨いですか」なんてお客さんに訊いて、生意気だと怒られもしました。その頃は、そのまま板前になるなんて考えていなくて、将来の夢は体育の教師になることでしたね。

あれからずいぶん日本は豊かになり、今は不況だとはいえ、食うのに困っている人はほとんどいません。でも、あの頃よりはいい世の中になったかと聞かれて、「そうだ」と即答できないのが寂しいですね。

(本文は、2012年6月15日刊『寿司屋の親父のひとり言』に加筆修正したものです)

ここに店を構えたのは、大阪万国博覧会が盛り上がっていた頃

すし 三ツ木

住所:東京都江東区富岡1‐13‐13
電話:03‐3641‐2863
営業時間:11時半~13時半、17時~22時
定休日:第3日曜日、月曜日
交通:東西線門前仲町駅1番出口から徒歩1分

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