いくら安全でも怖いものは怖い
扉が開いた。奥の真白な部屋に、巨大なカマボコが置いてあった。最新鋭の核磁気共鳴装置、MRIである。
スッと気が遠くなるのを、私はかろうじて踏みこたえた。
カマボコの板に横たわると、検査技師が手早く私の体を束縛した。
他人に何かをされるということがいやなのである。ベッドマナーですら、徹頭徹尾の能動派なのである。ジッとしたまま相手のなすにまかせるということは大嫌いであった。
しかし、かつて胃カメラを吞んだ折に、ハンパな状態で暴れて痛い思いをしたことがあった。医者の手を振り払い、自分でカメラを挿入しようとしたところ、ものすごく痛かったのである。
そのときのことを思い出して、私はなすがままの恐怖と屈辱によく耐えた。
やがて体が固定され、顔の上に小さなカマボコ型のネットが被せられた。
「……ええと、20分、じゃダメですか?」
「30分かかります」
「じゃあ、25分」
「ダメダメ。はい、始まりますよ。大きな音がしますけれど、動かないで下さいね」
「大きな音……?」
「ガー、とか、バリバリッ、とか。でも安全ですからね」
安全うんぬんという問題ではないと私は思った。安全性が恐怖感を拭い去るのであれば、世の中の遊園地は立ち行かぬ。ディズニーランドもユニバーサル・スタジオも倒産する。
安全と恐怖は別物だ、と思う間もなく、私の体は巨大カマボコの胎内に吸いこまれて行った。
暗いのである。狭いのである。身動きがとれんのである。
おかあさん、と私は呟き、6人の編集者の名前と、8人の女の名前をたて続けに呼んだ。ついでに妻の名を呼び、題目を唱えた。
機械は真白な闇の中に止まった。
死のごとき静寂のあとで、突然ドリルで脳ミソを掘削するような大音響が襲いかかった。
ギャー、と私は叫んだ。とたんにマイクの声。
「動かないで下さい。大丈夫、大丈夫。コワくないですよー」
コワくないかどうか、どうしておまえにわかるのだ。コワいのは俺だ、と私は思った。
耳をつんざく大音響は、本当に30分も続いた。たしかに痛くも痒かゆくもなかった。ただし、コワかった。狭い所は、コワい。
検査室からよろぼい出たとき、もう他人の欠嵌を責めるのはやめようと思った。
読者の皆様へ。いろいろご心配をおかけいたしましたが、検査の結果は何ら異常なく、脳ミソにも心臓にも毛が生えているということでありました。
自信を持って、死ぬまで原稿を書かせていただきます。
(初出/週刊現代1997年2月15日)
浅田次郎
1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。