幾多の災難を乗り越え人間国宝に
小宮染色工業の創業は、1907(明治40)年。小宮さんの祖父にあたる小宮康助さんが、長年の修業を経て浅草の地に独立開業した。
ところが、1923(大正12)年、関東大震災により家屋を焼失してしまう。1929(昭和4)年、現在の葛飾区新小岩に移転。そのわずか5年後、隣家からの出火でまたも全焼。再建するも、1945(昭和20)年には、空襲によって家屋をすべて失ってしまう。
康助さんは、40年ほどの間に家屋を7度も建て替えているという。そのうち5度は、関東大震災、空襲を含む災害によってであった。
幾度もの災難にみまわれながらも、康助さんは染色の技を高め、磨いていく。1955(昭和30年)、その技術が認められ、国から重要無形文化財保持者の認定を受けた。いわゆる「人間国宝」となったのである。
「江戸小紋」という呼称は、実はこの時から使われるようになったもの。他の小紋染めと、康助さんの「小紋」を区別するため「江戸小紋」という呼称が生まれたのだ。
その後、小宮染色工業2代目にあたる父・康孝さんが1978(昭和53)年に、3代目康正さんが、2018(平成30)年、重要無形文化財保持者に認定された。
「重要無形文化財の『無形』とは何だろうか、と考え続けました。技術も技法も時代とともに変わりますし、変わっていいと思います。すると、一番重要なのは『いかにものづくりに取り組むか』という思いを、次の世代に伝えていくことではないかと。ものづくりへの、人の『思い』を伝えていくのが、私の中の伝統だと思っています」