成功のクリスマスケーキ
そんなクリスマスも近いある晩、アマンドに「出勤」した私に、店長が手もみしながらすり寄ってきた。傘下の皆様にクリスマスケーキを買ってもらえないか、と言うのである。
アマンドのケーキはうまい。たとえばそのうまいケーキに「フォー・ユア・サクセス」なんて文句をデザインし、「成功のクリスマスケーキ」とか称して売れば、またまたお互い儲かるであろうと、2人の意見は一致した。
商魂たくましい私はそれまでにもヒマにまかせて「成功のペンダント」「成功の黄色いハンカチ」「成功のスタミナドリンク」等を説明会場の受付で販売し、ボロ儲けをしていたのである。
かくて私は自信満々に1個3000円もするバカでかいクリスマスケーキを400個も注文した。20年前の3000円のケーキといえば、どのくらいデカいか想像できるであろう。ちょっとしたウェディングケーキなみのデカさである。これに名言集を綴った即製の小冊を添え、3900円で売る。しめて36万の儲けと踏んだ。
バタークリームにするか生クリームにするかと店長は訊いた。当然数日前から完売を期して売り出すので、バタークリームが良いと答えた。コストが下がった分、ケーキはさらに一回りデカくなった。
イブの数日前に納入されたケーキの山は説明会場を埋めつくすほどの量であったが、マルチ商法では派手こそ美徳とされていたので、上司や他の幹部たちもたいそう喜んだ。120万円の代金を受け取ったアマンドの店長はもっと喜んだ。
説明会場に出入りする人間は日に1000人は下らない。クリスマスにはみんなケーキを食う。どうせ食うなら「成功のクリスマスケーキ」を食うであろう──。
しかし、この目論見はモロにはずれた。理由は自明である。第一にデカすぎた。第二に高すぎた。第三に、クリスマス・イブの説明会場は当然のことながらガラ空きであった。
当てが外れた儲け話の結末
こうして私の手元にはみごとに売れ残った三百数十個の「成功のクリスマスケーキ」が残されたのである。聖夜が明けてしまえば、それはあたかも節句を過ぎた雛ひなのように、重陽の後の菊のように、無意味な飾り物であった。
ケーキの山は店長の心のこもったアフターサービスにより、アマンドのピンク色のトラックに積まれて私のマンションに回送された。広い説明会場ではたいした量に見えなかったのだが、いざ2DKに運びこんでみるとたいしたものであった。かつて自衛隊時代に見た東富士火器大演習の、弾薬集積場の壮観を彷彿とさせた。
そもそもこの大失敗は、私の趣味嗜好と少なからぬ関係がある。酒は飲めず、生来の甘党なのだ。てめえの好きなものは他人もみな好きであろうという思い込みがこの悲劇を招いたとも言える。
居室からキッチン、果ては風呂桶の中にまで積み上げられたケーキの山を見つめつつ考えた。日持ちするバタークリームであったのはせめてもの幸いだが、それにしたっていつかは腐るであろう。三百数十個の巨大ケーキが一斉に醱酵するさまを想像すると鳥肌が立った。
翌朝、まずマンションの全室に配って回った。しかしどの家庭でも前日は等しくクリスマスであったので余りいい顔はしなかった。管理人のジジイには2個持って行ったが、モロにウンザリとした顔をされた。
この行動はもちろん焼け石に水であった。そればかりか悪い結果をもたらした。「いつもお騒がせしております。どうぞお歳暮がわりに」と、つまらぬ口上を言ってしまったために、マンションのゴミ捨て場にケーキを捨てることができなくなったのである。
そのうえそこいらで遊んでいるガキとか、良く知らない人にまで配って回ったので、あちこちのゴミ捨て場までがアマンドのケーキ箱でいっぱいになった。
実家にはまとめて持って行ったが、父母はすでにケーキの食いすぎで糖尿病を患っており、人殺しと罵られた。いっそ自衛隊に寄贈しようかとも考えたが、手順も面倒そうだしあらぬ疑いをかけられてもまずいのでやめた。
こうなると何が何でも消化する他はないと肚をくくり、三度のメシがわりにケーキを食い、さかんに人を呼んでは「まあ食え」と勧めた。こうして餅もおせちもない正月を迎えるハメになったのであった。
日がなケーキを食いながら様々のことを知った。馬鹿騷ぎのクリスマスはやはり主への誤解にちがいないということ。人間はケーキのみでも存外生きられるということ。そしてバターケーキは2ヵ月も日持ちするということ。
──以来私はクリスマス用の生クリームとともに、正月用のバタークリームも買い置くことにしている。銘柄はもちろんアマンドに限る。
ともかく、メリークリスマス。
(初出/週刊現代1995年12月31日号)
浅田次郎
1951年東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で第16回吉川英治文学新人賞を受賞。以降、『鉄道員(ぽっぽや)』で1997年に第117回直木賞、2000年『壬生義士伝』で第13回柴田錬三郎賞、2006年『お腹(はら)召しませ』で第1回中央公論文芸賞・第10回司馬遼太郎賞、2008年『中原の虹』で第42回吉川英治文学賞、2010年『終わらざる夏』で第64回毎日出版文化賞、2016年『帰郷』で第43回大佛次郎賞を受賞するなど数々の文学賞に輝く。また旺盛な執筆活動とその功績により、2015年に紫綬褒章を受章、2019年に第67回菊池寛賞を受賞している。他に『きんぴか』『プリズンホテル』『天切り松 闇がたり』『蒼穹の昴』のシリーズや『日輪の遺産』『憑神』『赤猫異聞』『一路』『神坐す山の物語』『ブラック オア ホワイト』『わが心のジェニファー』『おもかげ』『長く高い壁 The Great Wall』『大名倒産』『流人道中記』『兵諌』『母の待つ里』など多数の著書がある。