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加藤和彦とロンドンで

サディスティック・ミカ・バンドの名がデビュー作より広まったのは、1974年のセカンド・アルバム『黒船』からだった。加藤和彦とポール・マッカートニーやピンク・フロイドなどで知られるクリス・トーマスが共同プロデュースした。クリス・トーマスはロンドンから日本に招かれてアルバム『黒船』は録音されている。

『黒船』は、アメリカでは1975年2月に、イギリスでは同年4月に『Black Ship』というタイトルでリリースされた。日本ではレコード会社が“海外で人気”と宣伝したので、『黒船』はオリコンのチャートで最高位38位にランクされた。イギリスもアメリカもチャートにランクされた記録は残っていない。日本のオリコン38位というのも大ヒットとは呼べない微妙なチャート・アクションだろう。

“そもそも、加藤さんと初めて逢ったというか、口を開いたのはロンドンだったんだよね。ぼくは19歳、1971年だったかな。もちろん加藤さんのことは良く知っていた。向こうもぼくを知っていてくれて、バンドに誘ってくれたんだ。『黒船』がイギリスで出てから、しばらくして、クリス(トーマス)がプロデュースしていたロキシー・ミュージックと全英ツアーをして、それでイギリスでも少しは音楽ファンにサディスティック・ミカ・バンドとして知られたんじゃないかな”

サディスティック・ミカ・バンドが解散した後、サディスティックスで活動し始めた頃にユキヒロと逢った時、そんな話をしていた。

イギリスの評判が日本に逆輸入

イギリスでのチャート・アクションは無かったものの、音楽業界の関係者にサディスティック・ミカ・バンドの名は認知された。ユキヒロの名が一般的な音楽ファンに広く知られるようになったのは、いわゆるテクノ・ブームを世界に広めたイエロー・マジック・オーケストラ~Y.M.O.だろう。Y.M.O.もイギリスでの評判が日本に逆輸入されて人気となった。

Y.M.O.がイギリスで認められたのは、“高橋幸宏のバンド”だったからと教えてくれたのは、Y.M.O.のオフィスの社長で後にMIDIレコードを創設した友人の故大蔵博だ。

“細野さん(晴臣)も教授(坂本龍一)もイギリスでは無名だった。でも、音楽関係者は、サディスティック・ミカ・バンドでのユキヒロの天才的なドラミングを覚えてくれていて、あのユキヒロのバンドならと好意的だった”

そう教えてくれたことがあった。

YMOのデビュー・アルバム『イエロー・マジック・オーケストラ』や『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』、『黒船』など高橋幸宏が参加した名盤の数々

岩田由記夫
1950年、東京生まれ。音楽評論家、オーディオライター、プロデューサー。70年代半ばから講談社の雑誌などで活躍。長く、オーディオ・音楽誌を中心に執筆活動を続け、取材した国内外のアーティストは2000人以上。マドンナ、スティング、キース・リチャーズ、リンゴ・スター、ロバート・プラント、大滝詠一、忌野清志郎、桑田佳祐、山下達郎、竹内まりや、細野晴臣……と、音楽史に名を刻む多くのレジェンドたちと会ってきた。FMラジオの構成や選曲も手掛け、パーソナリティーも担当。プロデューサーとして携わったレコードやCDも数多い。著書に『ぼくが出会った素晴らしきミュージシャンたち』など。 電子書籍『ROCK絶対名曲秘話』を刊行中。東京・大岡山のライブハウス「Goodstock Tokyo(グッドストックトーキョー)」で、貴重なアナログ・レコードをLINN(リン)の約400万円のプレーヤーなどハイエンドのオーディオシステムで聴く『レコードの達人』を偶数月に開催中。最新刊は『岩田由記夫のRock & Pop オーディオ入門 音楽とオーディオの新発見(ONTOMO MOOK)』(音楽之友社・1980円)。

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