名古屋コーチンをやっとの思いで仕入れる、食材への飽くなき探求
「食材の鬼」という異名を持つ佐野さんですが、最初から食材を追及していたわけではありませんでした。どうすれば美味しくなるのか?という探求心が最終的に食材へと結びついていったのです。
開店から2年間は苦戦が続くものの、研究の成果が出て少しずつお客さんが増えてきました。食材探求の入口は鶏ガラでした。たまたま手に入った地鶏のガラでスープを取ったところ、これまでより深みのあるスープが出来たのです。そこで、色々な地鶏を試した中、当時(1988年頃)ベストだと思ったのが純系名古屋コーチンでした。
しかし、当時名古屋コーチンのガラだけを卸すことはなく、ましてやラーメン店に卸すこともなかったため、中々売ってくれませんでした。生産者に交渉を重ね、ようやく仕入れることを許されたのです。そこで佐野さんはお店を休み、鶏舎を訪れました。そうするとその鶏舎はブロイラーのようにケージの中で育てるのではなく、大きな鳥小屋に数十羽の鳥を放し飼いし、餌から水まで吟味され、雑菌や病気を防ぐための予防設備も充実していました。
その時、佐野さんは、こういう食材だけでラーメンを作ったら、安全で美味しいラーメンが作れる、そしてその食材は、生産現場を訪ね、自分の目で確かめたものだけを使いたいと思ったのです。このことが「食材の鬼」の原点となったのです。
その後、佐野さんは、自分の目で確かめた厳選食材を、弟子だけでなく他のラーメン店にも提供できるようにと、食材の卸業としてエヌアールフードを設立し、今では全国のラーメン店がエヌアールフードから食材を仕入れています。
国産小麦にカルチャーショック
全国のラーメン店を取材している中、佐野さんにとって大きな出会いがありました。そのお店が現在も交流が続く、山形県酒田市にある「味龍」の岡部正巳(故人)さんでした。
佐野さん曰くこのお店の麺を食べた時、衝撃を受けたとのことです。香り、滑らかさ、しなやかさ、これまで経験したことのない麺だったそうです。佐野さんは岡部さんに「美味しいですね。何の粉を使っているのですか?」と尋ねたところ「国産小麦だよ。このあたりで取れる南部小麦の新種だよ」と岡部さんは答えてくれました。
佐野さんはカルチャーショックを受け、小麦と言えばカナダやオーストラリアだと思っていたし、国産の小麦が使えるとは知らなかったのでした。当時(1993年)ラーメン店で国産小麦を使っているところはほとんどありませんでした。
取材から戻った佐野さんは早速、製麺屋さんを呼び、国産小麦で麺を作ってほしいと依頼しました。しかし製麺屋さんからは「国産小麦は、風味はいいけど、コシが弱いし、バラツキがありすぎるから作れない。どうしても欲しいなら他をあたってくれ」という回答だったそうです。
そこから国産小麦を調べると北海道に「ハルユタカ」というパン用の強力粉があることがわかり、佐野さんはすぐに札幌に飛び、当時「ハルユタカ」を扱っていた江別製粉に交渉しました。当時は国産小麦の生産量も少なく、よそに分けるほど量がないという理由で断られました。しかし佐野さんはあきらめることなく通い続けることにより、ハルユタカを分けてもらえることになりました。
そして1200万を投資して製麺室を作り、400万の製麺機を購入し、自家製麺に切り替えたのです。しかし、いざ製麺を始めるとなかなかうまい麺が出来ませんでした。
そこで佐野さんは味龍の岡部さんに毎日のように電話をかけ、うまくいかない理由を研究していきました。佐野さん曰く「完璧なゴールはないものの、国産小麦の特性を把握し、ある程度納得する麺を作るのに8年かかった」と言われておりました。
内モンゴル産かん水をリスク承知で輸入
ラーメンの麺を作る上で欠かせないのが「かん水」です。簡単に言うとラーメンの麺からかん水を抜くとうどんになります。
ただ、佐野さんはかん水のアンモニア臭が嫌いで、なんとかならないかと色々探していました。すると、特有の臭いのない内モンゴル産のかん水の存在を聞きつけ、すぐに内モンゴルに渡りました。
使ってみると臭いがなく、しかもリン産塩類も含まれておらず、体にも優しい。これは良いと思い使うことになるのですが、そこには大きな問題がありました。内モンゴルかん水を輸入するには最低20トンを仕入れなければなりませんでした。さらに輸入するにあたり、かん水工業会に加盟したり、税関検査に立ち会ったり、苦手な事務手続きが山のようにありました。
しかしどうしても使いたかったため、リスクを承知の上で輸入したのです。1997年の事でした。この出来事が先に述べたエヌアールフードの設立に繋がったとのことです。佐野さんはこれだ!と思ったものは、どんなに難関な壁があってもあきらめません。ラーメンファーストなのです。