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温厚なウィリーが生まれて初めて激怒した

グラスゴーの地方局が制作したドキュメンタリー番組、「親友」では、町の人々が撮影したスナップ写真の数々も紹介された。カートを引いてコースに向かう3人の初老の男、サムの赤い帽子を直してやるウィリー、交叉点の車を手で制してサムの安全に配慮するジョージ。

全長5955ヤード、パー69、1907年に設立された野趣溢れるコースは、アルツハイマーの患者にとって安全な場所とは言えなかった。いくつかの野ウサギの穴が陥没して出来た深いバンカーと、かつてのクリーク跡がV字形の側溝となって残る2ヵ所が、とくに危険だった。

あるいは3人の妻君のうちの誰かがカメラを持って追ったのか、コース内での寸景も紹介されていく。さりげなくティアップに手を貸す2人、うまく飛んだのか、サムの肩を叩いて笑うジョージと、驚いてみせるウィリー。そうかと思うと、親友2人が深いラフの中を這い回っているというのに、ぼんやり高い雲に見とれるサムの童画的シーンも登場する。

とくに印象的なのが、壮大な夕焼けを背に、3人が影絵となって家路につくおだやかな光景である。横を通る車の窓から手が振られ、通りの向こうを行く老夫婦も笑顔で手を振っている。いかに人々が彼ら3人の友情を町の誇りとしてきたか、1枚の写真に愛情と善意が濃縮されて感動せずにはいられない。

やがてある日、コースの理事から素晴らしいニュースがもたらされた。

「クラブ設立75周年コンペの日が、どうやらサムの誕生日に当たるらしい。そこで相談だが、第1組に彼を迎えようではないか。もちろん症状については知ってるよ。スコアなんて二の次だ。当日は2人の名誉会員にサム、もう一人はウィリー、きみに参加してもらいたい。ジョージは第2組に入って、うしろからエスコート役に回ってもらおうか」

「喜んで! いますぐサムの妻君に知らせよう」

ウィリーは当日、サムの家族と近在のゴルフ仲間にも参加を呼びかけた。また、この日初めてドキュメンタリー番組のカメラもコースに入ったが、遠景とうしろ姿はとらえても、サムの顔にレンズを向けることはしなかった。

さて、記念すべきコンペの朝は、いかにもスコットランドらしい鉛色の雲がたれ込めて、ひんやりする風がコースをよぎる生憎の天気だった。

1番ティに現われたサムは、いつも通りの赤帽に赤シャツ、その上から赤いウィンドブレーカーをかぶって不安な表情だった。彼はウィリーがティアップしたボールに向かって小さく2度スウィングを試みたが、うまく当たらず、手前の芝が飛び散った。

「いいぞ、サム、申し分ない。今度は俺の番だ。さあティから降りて待っててくれよ」

残していったボールはウィリーが打って、拍手に送られながら第1組がスタートしていった。サムはときに打つ真似をすることもあったが、ほとんどの時間、小さな歩幅でウィリーのあとに従うだけだった。それでもグリーンに到着して、カップから2メートルほどの場所にボールを置いてやると、なんともお見事、それを一発で沈めてみせた。

「凄いじゃないか!」

ウィリーに抱き締められて、彼は珍しく声を出して笑った。事情に疎い名誉会員の1人が、スコアカード片手に小声で尋ねた。

「そちらの病人さんの場合、スコアはノーカウントだね?」

次の瞬間、温厚なウィリーが生まれて初めて激怒した。それは誰も見たことのない光景だった。

「な、何を言うか! ここにいる男は病人さんじゃない。人生の大半、町のために尽力した偉大なる公務員、サム・マッコードが彼の名だ。それからサムは、いつだって1番ホールが5に決まっている。昔から、こいつは1番が苦手なんだ。いいか、彼に対する無礼は断じて許さないぞ」

ウィリーは泣きながら叫んでいた。友情のあまりの深さに誰もが息をのみ、目頭を押さえる者もいた。

それから半年後、サムはあの世に旅立っていった。番組のナレーションはジョージの次なる言葉で終わっている。

「何を以て成功した人生と言うのだろう。富? 名誉? いや、いずれも真の幸福とは無縁のものだ。人生の中で真の友と出会い、日々心の贅沢に浸ることが出来たならば、富も名誉も色褪せた話の一つにすぎないと思うよ」

(本文は、2000年5月15日刊『ナイス・ボギー』講談社文庫からの抜粋です)

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夏坂健

1936年、横浜市生まれ。2000年1月19日逝去。共同通信記者、月刊ペン編集長を経て、作家活動に入る。食、ゴルフのエッセイ、ノンフィクション、翻訳に多くの名著を残した。毎年フランスで開催される「ゴルフ・サミット」に唯一アジアから招聘された。また、トップ・アマチュア・ゴルファーとしても活躍した。著書に、『ゴルファーを笑え!』『地球ゴルフ倶楽部』『ゴルフを以って人を観ん』『ゴルフの神様』『ゴルフの処方箋』『美食・大食家びっくり事典』など多数。

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おとなの週末Web編集部 今井
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