海と山に囲まれた愛知県東部の東三河地方はまさに食材の宝庫であり、それぞれの町に名物がある。豊橋といえば、カレーうどんやちくわ。豊川はいなり寿司。蒲郡はみかんや魚介。田原は渥美牛やメロンなどなど。
豊橋市や豊川市の北隣に位置する新城市は……。農業が盛んなイメージはあるものの、同じ県内に住んでいる筆者も新城の特産品や名物は聞いたことがない。
“鶏とろ”を使ったメニューを道の駅の名物に!
新東名高速道路の新城ICを下りてすぐの場所にある道の駅『もっくる新城』にはお土産物がたくさん並んでいるが、新城以外の東三河地方で作られたものが多い。
「道の駅で売る名物がないというジレンマは、2015年の開業当時からありました。卵かけご飯食べ放題のモーニングや巨大化させた五平餅やメロンパンなど、これまでさまざまな仕掛けをしてきましたが、そろそろ名物を作りたいと思いました」と、話すのは『もっくる新城』の駅長、田原直さんだ。
今ではすっかり淘汰されてしまった感があるが、コロナ禍の2020年、世間ではテイクアウトのから揚げ店が乱立した時期でもあった。『もっくる新城』もそのブームに乗ろうと、田原さんは鶏肉の卸業者と頻繁に打ち合わせをしていた。そんなある日、卸業者が見慣れない部位の鶏肉を持ってきた。
「それが東三河産の錦爽どりの胸肉と手羽元の間にある肩肉でした。水分量が多く、から揚げにするとジューシーで、煮込んでもパサつかず、しっとりとした食感になりました。調理法を問わず、いろんな料理に使うことができる上に、1年中提供することもできるので、“鶏とろ”と名付けて、これを使ったメニューを名物にできないかと考えました」(田原さん)
と、ここまで書くと、鶏とろと偶然出合った田原さんによって名物が生まれたように受け止められるかもしれない。しかし、新城市はニワトリと深い縁があり、鶏とろとの出合いは偶然ではないことがわかる。
時は戦国時代。若き徳川家康は武田信玄との戦いに大敗して命からがら新城へ逃げてきた。家康一行は疲れた体を休めるべく、満光寺で1泊することに。
「一番鶏が鳴いたら起こしてくれ」と、住職に頼んで床についた。
ところが、まだ夜が明ける前の暗い時間に一番鶏が鳴いた。住職は不思議に思いながらも家康一行を起こした。家康は礼を述べて寺を後にした。その直後、寺は武田軍に取り囲まれたが、すでに家康一行は遠くへ逃げていて命拾いをしたのだった。
家康はその礼として、満光寺のニワトリに三石の扶持を与えたという。
これが新城に古くから伝わる「徳川家康に褒美をもらったニワトリ」伝説である。ちなみに三石はお米420~450kg。お米10kgがだいたい3000~4000円くらい。間を取って3500円とすると、家康がニワトリに与えた褒美は14万7000円~15万7500円だ。
家康の命を救ったニワトリを食べてしまうのはいかがなものかという意見もあるだろう。しかし、縁起物と捉えて、感謝してその命をいただくのであれば問題はなかろう。