皇室に馬車が導入されたのは、1871(明治4)年のことで、それまでの天皇の乗り物といえば「輿(こし)」と呼ばれる”板の上に屋形を組んだもの”を人が担いで移動していたという。日本における馬車の歴史は、1869(明治2)年に東京と横浜を結んだ「乗合馬車」に始まる。皇室の馬車利用は、導入されて153年を経た現在も続いており、東京の丸ノ内周辺では、ほぼ、月に数回程度見ることができる。皇室に馬車はいったい何両あるのか、どんな種類が存在するのであろうか。
画像ギャラリー皇室に馬車が導入されたのは、1871(明治4)年のことで、それまでの天皇の乗り物といえば「輿(こし)」と呼ばれる”板の上に屋形を組んだもの”を人が担いで移動していたという。日本における馬車の歴史は、1869(明治2)年に東京と横浜を結んだ「乗合馬車」に始まる。皇室の馬車利用は、導入されて153年を経た現在も続いている。皇室に馬車はいったい何両あるのか、どんな種類が存在するのであろうか。
馬車のはじまり
歴代天皇のなかで、はじめて馬車に乗車とされたのは明治天皇とされる。1871(明治4)年8月6日に皇居内の吹上御苑へお出ましになったときだったという。この馬車は、我が国に滞在赴任していたフランス国公使より買い上げたフランス製の馬車「御料四人乗割幌馬車(ごりょうよにんのりわりほろばしゃ)」で、乗車空間となる”箱(上箱部分)”だけは日本で作り替えたものに交換したそうだ。その後、明治天皇用としては延べ9両の馬車が導入された。1888(明治21)年9月には、翌年の大日本帝国憲法発布式で使用する「国儀車」をイギリスの馬車メーカーから購入した。この国儀車の屋根上には、「輿」に取り付けられていた「鳳凰(ほうおう=古代中国で尊ばれた想像上の鳥)」を模したものが取り付けられた。この馬車は、今も「明治神宮ミュージアム」で見ることができる。
馬車は何台ある?
宮内庁には車馬課という部署があり、自動車は自動車班、馬車や輓馬(ひきうま)は主馬(しゅめ)班で管理している。馬車の種類は、儀装(ぎそう)馬車、普通馬車、特別馬車、馴馬車(なればしゃ)、運送馬車がある。馬車の名称は、古くは御料儀装車、御料普通車などと呼ばれた時代もあったが、今では馬車という名称を用いずに「儀装車」とも呼ばれている。
儀装車には1号から4号までがあり、それぞれに天皇用、皇后用、皇嗣用(皇太子用)、皇族用、賓客用などに用途区分されている。普通車は随員(お付きの人)用、特別車は霊柩車、馴車や運送車は輓馬の練習用に使用される。
いったいこれらは、何両あるのか。現役のものと保管状態のものを含めると、36両を数える。これらは、皇居東御苑(一般の立入禁止エリア内)と御料牧場(栃木県高根沢町)にある車庫に格納されている。
天皇陛下の馬車とは
皇室の方々の馬車利用は、重要儀式の際に限られるため、日常の公務で乗られることはまずないという。儀装馬車には、1号から4号までの4種類があり、そのなかでも天皇陛下が乗られるのはどんな馬車なのか。古くは大正と昭和の即位の礼で使用した儀装車1号(旧名・特別儀装馬車)と呼ばれる馬車が存在するものの、平成と令和の即位の礼で使われることはなかった。
皇室の重要儀式は、皇居内か伊勢神宮で行われることが多いため、広く一般向けには公開されていない。具体的には、天皇陛下は儀装車2号、皇后陛下と皇嗣殿下(皇太子殿下)は儀装車3号に乗られる。他の皇族方が使用できるのは儀装車4号であるが、皇男子の成年式などで使用されるくらいで、女性皇族が乗られることはまずない。また、儀装車4号は「信任状捧呈式」という新任の外国大使らが臨む国の儀式で使用され、東京の丸の内から皇居前周辺を走ることから、“誰でも見ることができる馬車列”ではないだろうか。
文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会皇室担当写真記者。1970年、東京都生まれ。10歳から始めた鉄道写真をきっかけに、中学生の頃より特別列車(お召列車)の撮影を通じて皇室に関心をもつようになる。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物を通じた皇室取材を重ねる。著書に「天皇陛下と皇族方と乗り物と」(講談社ビーシー/講談社)、「天皇陛下と鉄道」(交通新聞社)など。