ハイトワゴンの走り的モデル
しかし、実際は筆者の思っていたのとは真逆で大ヒット。マツダ好きとしては売れたことはうれしかったが、自分のマーケティング能力のなさにガッカリ。クルマは好きでも動向は読めないことが露呈したのも初代デミオで、いい教訓とさせてもらった。
当時は1994年にデビューしたホンダオデッセイのメガヒットにより乗用車タイプのミニバンが猛威を振るっていたこともあり、コンパクトカーも室内の広さが求められていた。初代デミオはタワーパーキングがギリギリOKな余裕のある全高とそれによる室内空間の広さ、室内のアレンジの多彩さ(自転車も積載できる)などによりコンパクトカーながらミニバンのような実用性を持っていたことでユーザーから評価された。当時はまだハイトワゴンという言葉はなかったが、初代デミオはその走り的モデルだった。
走って初めてマツダ車を実感
初代デミオは1.3Lと1.5Lの2種類のエンジンをラインナップしていた。量販モデルは1.3Lだったが、こちらは特別感激もない代わりに不満もない。一方上級の1.5Lは軽い車重には充分すぎるパワー&トルクで、このクラスでは快速ぶりを披露。ただ、1.5Lは1.3Lよりも価格設定が高かったので、ほとんどが1.3Lだった。
実際に運転しても軽快で気持ちよく、正直なところ走って初めてマツダ車であることを実感した次第だ。
CMキャラクターにピッペンを抜擢
初代デミオはCMキャラクターにNBAのシカゴブルズのスコッティ・ピッペンを抜擢したのが話題になった。ピッペンがバスケットボールを右手に持ってデミオの後ろで手を広げているビジュアルはいたるところで目にした。
知名度ではマイケル・ジョーダンに及ばずとも、ピッペンは日本でも人気があった。王道はエアジョーダンだったが、ちょっとスレていた私は1990年代のスニーカーブームでは、エアピッペンを履いていた。私の母親世代にとってはただの外人だっただろうが、ピッペンは若者への訴求という点では満点だった。
岡本太郎先生の死
ピッペンに触れたので、初代デミオが登場した1996年について振り返ってみる。スニーカーブームやGショックブームもあったが、個人的に一番心に残っているのは、芸術家の岡本太郎先生がお亡くなりになったこと。キリンのウィスキー、ロバートブラウンのノベルティの岡本太郎先生作の「グラスの底に顔があっていいじゃないか」のグラス、お持ちの方、お安く売っていただけませんか?
7月の祝日、『海の日』が設定されたのもこの年。あとは悪い意味で覚えているのが『たまごっち』。初めてネットオークションをやって、まんまと詐欺られた……。