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東京モーターショー1989でコンセプトカーを公開

滑らかな曲面に包まれたPRIMERA-X。初代プリメーラの原型だ

初代プリメーラは、東京モーターショー1989に出展された『PRIMERA-X(プリメーラ・エックス)』というショーモデルがベースになっている。大学の4年生だった筆者は、単なるコンセプトカーと考え真剣には見ていなかった。

東京モーターショー1989は会場を幕張メッセ(千葉県・千葉市)に会場を移した第1回目で、景気のよさも後押しして大盛況。一日平均16万350人という来場者数はいまだに更新されていない。

トヨタ4500GTは東京モーターショー1989の主役だった

日本メーカーではトヨタの4500GT、ホンダのNS-Xプロトタイプなどが大人気。日産ブースでは、コンセプトカーのPRIMERA-Xよりもなかなかお目にかかることのできないレーシングマシンのR89C(グループCカー)、R32GT-RのグループAマシンのほうが人気だったように思う。

筆者個人的には、世界初公開されたピニンファリーナ『MYTHOS』、日本で一般に初公開されたフェラーリ348にべったり張り付いていた。

オースターの後継セダン

当時の日産は小型セダンが充実していた。トヨタとの販売合戦を展開し、サニーはカローラ、ブルーバードはコロナのライバルに君臨。その間を埋めるモデルとしてオースター、スタンザを設定し、パルサーもあった。

オースターの欧州名はブルーバード(日本のブルとは別物)で、日本とイギリスの工場で生産されていたが、これはプリメーラも同じ。オースターはプリメーラのデビュー時に販売終了となったことからも実質的にオースターの後継ということになる。ただし、車格はブルーバードクラスに引き上げられた。

地味セダンのオースターの後継が初代プリメーラだ

プリンス店はウハウハ

ブルーバードと初代プリメーラは姉妹車ではないが、同じクラス。現在は合理化のため車種ラインナップが整理されているが、同一メーカー内にライバルとなる車種をラインナップするのは20世紀ではそれほど珍しくなかった。スバル、スズキ、ダイハツを除き販売会社のマルチチャンネル制をとっていたことも影響している。

今では全店全車販売となっている日産だが、当時は日産店、モーター店、プリンス店、サニー店、チェリー店の5チャンネルあり、初代プリメーラはプリンス店とサニー店の併売だった。

日産のスポーツセダンとして若者に支持されていたブルーバード

プリンス店と言えば、旧プリンス系モデルのスカイラン、グロリアのために存在していたなか、新たな看板車種としてプリメーラが加わった。日産に入社した筆者の大学時代の友人は、「プリメーラ人気でプリンス店はウハウハ」と語っていた。

一方ブルーバードは日産店の専売だ。

しっとりと落ち着いた雰囲気でチャラチャラした感じはいっさいない

背が高いコンパクトセダン

ボディサイズはブルーバード(U12型:1987~1991年)が全長4520×全幅1690×全高1375mmだったのに対し、初代プリメーラは全長4400×全幅1695×1385mmでほぼ同じだが、背が高いのが特徴だった。

エンジンは1.8Lと2Lの直4DOHCを搭載。これもブルーバードと同じ。ただ、2LのSR20DE型は、ブルーバードがレギュラーガソリン仕様だったのに対し、初代プリメーラは欧州で販売するためハイオク仕様となっていた。トランスミッションは5MTと4ATが設定されていた。走りを楽しむスポーツセダンというキャラクターだったため、5MTの販売比率も高かったという。

初代プリメーラは全高が1380mmとゆったりしてたので居住性にも優れていた
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市原 信幸
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