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FF車のマルチリンク

当時の日産は901運動を展開中。901運動とは、「1990年までに技術世界知を目指す」というもので、シャシー、エンジン、サスペンションを徹底的に強化。その結果誕生したR32型スカイライン(GT-R含む)、R32型フェアレディZをはじめとする日産車の走りは自動車評論家からも絶賛されていた。

2LのSR20DEエンジンは150psで車重1100kg程度の軽いプリメーラには充分なスペック

そのキモとなったのがマルチリンクサスペンションで、初代プリメーラはFF(前輪駆動)車として初めてフロントに採用。この効果は絶大で、ダイレクト感のあるステアフィール、自在にコントロールできる操縦性の実現に大きく貢献していた。

このフロントのマルチリンクサスによる新世代のFF車の走りが欧州勢、特にFF車をメインとするアウディ、オペル、フォルクスワーゲンにも衝撃を与えた。

日産が作ったガイシャ

締め上げられたサスによる乗り味はシャープ。コントローラブルでコーナリングスピードはスポーツカー並み。そのポテンシャルの高さは、ドイツ車を超えたとも言われた初代プリメーラ。日産が作ったガイシャと言われるゆえんだ。

その代償として乗り味は硬い!! ハイソカーブームでゆったりとした柔らかめのアシに慣れていた日本人にとっては衝撃だった。多少の乗り心地を犠牲にしても走りにこだわったのは多くのクルマ好きから評価され、日本のスポーツセダンの代名詞にまでなった。

谷田部のテストコースでのカット。ハンドリング、加速性能ともドイツ車を脅かした

その一方で、購入したユーザーの「硬すぎて乗り心地が悪い!!」という意見に応えるかたちで日産は1992年のマイチェンで若干乗り心地に振った足回りに変更した。

日産が自信をもって投入したアシのセッティングを変えるくらいだから、相当数のクレームが入ったのだろう。

シッカリ動くアシに感激

筆者が初めて初代プリメーラをドライブしたのは、1991年に『ベストカー』でアルバイトをしていた時で日産の広報車両だった。スポーツするにはアシは硬くなきゃ、という時代、ガチガチにアシを固めたAE86レビン/トレノ、スターレット、シビックなどに乗り慣れていた者にとっては、硬いけどしっかり動くアシは感激モノだった。

クルマの経験値が乏しい筆者とって、初代プリメーラは走りのいい、悪いを判断する際のベンチマークとなり、かなりの期間、「初代プリメーラと比べてどうか」が基準だった。

この原稿を書いていて、また運転したくなった。でも今後自分が購入することはないだろうから実現する可能性は少ないだろう。まぁ、「ベストカー」の企画での出会いに期待しよう。

時代に反したデザイン

空力にこだわりフラッシュサーフェイス化を徹底した初代プリメーラ

初代プリメーラが登場した時に「コンセプトカーと全然違う」、と誰もが感じたことだろう。そのギャップに驚いたものだ。

市販モデルはギュッと引き締まったような塊感のあるデザインが特徴だ。そのため、サイズよりも小さく見えた。当時の日本車は大きく豪華に見せようと必死だったが、初代プリメーラはその真逆。当時の日本車で、実際によりも小さく見えるのは珍しかった。1980年代中盤から盛んになったフラッシュサーフェイス化(ボディ全体に段差をなくしてを滑らかにする)による空力追求というトレンドは押さえていたのも小さく見えた要因だろう。

第一印象は、オペルベクトラと似ているなというもの。まとまっているが華やかな感じはまったくなくて、地味なセダンだな、というネガなイメージしかなかった。

カリーナEDが先鞭をつけた背が低いスタイリッシュでもなかったため、カッコいいとも思わなかった。それは、ハイソカーブームに頭が毒されていたからだろう。

しかし、時間とともに印象は激変。現金なもので乗って感激した後は、チャラチャラしていない落ち着いた雰囲気が凄く心に刺さるようになった。

欧州で大ヒットしたオペルベクトラ。今見ても初代プリメーラと似ている
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前澤義雄氏がデザイン...
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市原 信幸
市原 信幸

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