子孫は“助さん”のモデルや大石蔵之助の妻
成政の次女は関白鷹司家に嫁ぎ、その息子が関白に、また娘が徳川家光の正室になっているのです。別の娘は狩野永徳の息子に嫁ぎ、狩野探幽を生んでいます。
さらに、水戸黄門で有名な助さんのモデル、佐々介三郎宗淳や大石内蔵助の妻、りくも成政の子孫です。子孫に関するかぎり、秀吉にリベンジを果たしたということでしょうか。
【富山城】(別名・浮城、安住城)
天文12(1543)年に水越勝重(みずこし・かつしげ)によって築かれ、織田信長の家臣、佐々成政が城主になった。その後、越中は前田利家に与えられ、焼失した富山城を息子の利長が慶長14(1609)年、幕府に許可を得て再築城。かつては神通川に浮いているように見えたことから浮城と呼ばれた。本丸を三方から二重に取り巻く水堀が特徴で、虎口や曲輪のレイアウトは聚楽第がモデルとされるが、石垣や堀以外遺構はなく、現在の模擬天守は松本城などがモデルにされた。城内は富山市郷土博物館になっている。
開館時間:9~17時(入館は16時半まで)
入館料:大人210円、高校生以下は無料
住所:富山市本丸1-62
電話:076-432-7911(富山市郷土博物館)
■末森城跡
天正12(1584)年、秀吉と家康が小牧長久手の地で対峙するなか、徳川方に属した佐々成政が1万5000の軍勢で能登の末森城を包囲。金沢城の豊臣方の前田利家が2500の兵で急行し、佐々軍を撃退した。これが末森城の戦いだ。末森城跡は石川県宝達志水町竹生野にある。
【佐々成政】
さっさ・なりまさ。1539~1588年。織田信長の鉄砲隊の指揮官として頭角を現わし、越中一国を与えられた。後輩の秀吉とそりが合わず、信長の後継を決める清洲会議では柴田勝家につく。秀吉の盟友である前田利家と越後の上杉景勝を相手に苦戦。厳寒時、越中から北アルプスを越え、浜松の徳川家康のもとに助勢を求めたが失敗。この決死行は佐々の佐良(ザラ)峠越えがなまり、「さらさら越え」と呼ばれる。その後、秀吉に降伏し、九州平定に功があったことから肥後一国を与えられるも、性急な改革から一揆が起き、秀吉から切腹を命じられる。
松平定知 (まつだいら・さだとも)
1944年、東京都生まれ。元NHK理事待遇アナウンサー。ニュース畑を十五年。そのほか「連想ゲーム」や「その時歴史が動いた」、「シリーズ世界遺産100」など。「NHKスペシャル」はキャスターやナレーションで100本以上担当。近年はTBSの「下町ロケット」のナレーションも。現在京都造形芸術大学教授、國學院大学客員教授。歴史に関する著書多数。徳川家康の異父弟である松平定勝が祖となる松平伊予松山藩久松松平家分家旗本の末裔でもある。
※『一城一話55の物語 戦国の名将、敗将、女たちに学ぶ』(講談社ビーシー/講談社)から転載
※トップ画像は「Webサイト 日本の城写真集」