職人は「黙って10年は続ける」という父の教え
実家は造園業を営んでおり、職人である父の背中を見て育った。
「だから職人になることに抵抗感はありませんでした。『久兵衛』に入る際、父に言われたのは、職人の世界は黙って10年は続ける、ということでした」
『久兵衛』で学んだことは、寿司職人として、掃除から始まって仕込み全般、寿司屋さんとしての接客などひと通りのイロハ。「先輩によく言われたのは、『カウンターに立ってからがスタートだから』ということ」と木目田さんは、当時の教えを振り返る。
「本当に仕事が楽しくなり始めたのは、3年ほど経ってからです。裏でいろいろな仕込みを任せてもらえるようになってきてから。それまではカウンターに立つ板前さんの要望が理不尽だと感じることもありましたが、結局はお客様の声を代弁しているのであって、お客様のためを考えてのものです」
「裏にいるころはお客様の姿が見えないので、それがわからないんです。カウンターに立てて、お客様を目の前にしたときに初めて、裏で自分たちが仕事を施した素材がお客様の口に運ばれるまでの帰着がつながりとして理解できましたし、自分に何ができるのかを考えることができるようになりました」
10年で一人前の世界で「7年目」で久兵衛のカウンターに
寿司職人としての修業でよかったことは、自分の成長度合いが見えやすいことだと言う。
「例えば『久兵衛』なら、1年目は海老の仕込み、それから貝類やイカ、光り物、白身など、順を追って触らせてもらえるネタが増えて、できる仕事の幅が広がっていきます。振り返ったときに、ここまでやらせてもらえるようになったという実感を得られることができるのです」
寿司職人がカウンターに立てるまで、要するに一人前になるまで一般的に10年の修業が必要とされている。
木目田さんは、7年目で『久兵衛』のカウンターに立った逸材だ。当の本人は「ラッキーでした」と謙遜する。
「『久兵衛』の場合、白衣を着た職人・料理人は1年生からベテランまで40〜50人程度、まな板の数が16枚です。そのスタメンを取るというのがいかに難しいかということは改めて実感しています。
僕がカウンターに立てたのは7年間、誠実にやってきたからという自負はあります。プラスアルファ、英語の能力も評価されてのことだと思います」
「一生懸命にやることは大前提です。でも、5年目の職人には5年目なりの仕事、もっと年季を重ねた職人だったらという相応の仕事の重みがあると思います。その時できることの重さと説得力が違うので、恥じることなく、その時の一生懸命さを出していけばいいと思うと、と先輩にも言われていましたし、僕もそう感じています。確かに日々仕事していると、引け目を感じてしまうこともありましたが、それはお客さまに対して失礼ですから。一生懸命やるという、ただただシンプルな答えですが。つまるところそういうことなのだと思います」