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第8位『失敗しても何度も復活!秀吉の最古参の家来・仙石秀久はいかにして戦国の世を生き抜いたか 小諸城と「戦国の失敗学」』

小諸城址の「三の門」 Photo by Adobe Stock

【小諸城】(別名・酔月城、白鶴城)

1487年、戦国大名大井光忠によって築城され、武田信玄が侵攻し、山本勘助らに命じて拡張整備された。徳川政権樹立後は初代小諸藩主・仙石秀久によって三重の天守や大手門などを建造、子の忠政が完成させた。城郭部が城下町よりも低く「穴城」ともいわれる。重要文化財に指定される大手門は平成の大修理によって1612年、仙石秀久が築いた当時に復元された。1926年には、小諸城址懐古園として近代的な公園に整備された。

住所:長野県小諸市丁311(小諸市懐古園事務所)

※松平定知さんのコラムは下記のリンクから読めます

・失敗しても何度も復活!秀吉の最古参の家来・仙石秀久はいかにして戦国の世を生き抜いたか 小諸城と「戦国の失敗学」
https://otonano-shumatsu.com/articles/404905

第7位『秀吉と家康に怖れられた“戦国最強”の男は誰か? 大分・中津城で見た天下取りの“夢の跡”』

中津城 Photo by Adobe Stock

【中津城】(別名・扇城、せんじょう)

天正15(1587)年、豊臣秀吉の九州平定に伴い、黒田官兵衛が豊前6郡の領主として入国。翌年から築城を開始するも、官兵衛の時代には完成せず、関ヶ原の軍功でこの地を与えられた細川忠興が工事を引き継ぎ、元和6(1620)年に完成させた。模擬天守北側の堀の石垣にy字になっている部分があるが、右側が黒田時代、左側が細川時代の石垣だという。その後小笠原氏が城主となるも享保2(1717)年、奥平氏が入城。以来明治維新まで奥平氏の居城だった、奥平氏は家康の娘・亀姫が嫁ぎ、長篠の合戦で活躍した奥平信昌が有名。1964年鉄筋コンクリートで五重五層の模擬天守が再建。堀には海水が引き込まれ、今治城、高松城とともに日本三大水城とされる。

住所:大分県中津市二ノ丁本丸

※松平定知さんのコラムは下記のリンクから読めます

・秀吉と家康に怖れられた“戦国最強”の男は誰か? 大分・中津城で見た天下取りの“夢の跡”
https://otonano-shumatsu.com/articles/356287

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おとなの週末Web編集部
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