第4位『家康の約束違反が明治維新に繋がったか 120万石から37万石に大減封、萩城に移った毛利輝元は何を思ったか』
【萩城】(別名・指月城[しづきじょう])
慶長9(1604)年、関ヶ原の戦いで敗れた毛利輝元は、中国8カ国120万石から、周防、長門2カ国37万石へと大減封となった。それに伴い広島城から日本海に突き出た指月山(しづきやま)143mの麓に築城したのが萩城だ。現在は天守台や石垣しかないが、天守台の石垣の反りは日本一美しいという人がいるほど。現在は萩城跡指月公園として整備されている。
住所:山口県萩市堀内1ー1
※松平定知さんのコラムは下記のリンクから読めます
・家康の約束違反が明治維新に繋がったか 120万石から37万石に大減封、萩城に移った毛利輝元は何を思ったか
https://otonano-shumatsu.com/articles/411274
第3位『本能寺の変で暗転した佐々成政の生涯 富山城を秀吉軍10万に囲まれるも大大名に復活、波乱の結末が待っていた』
【富山城】(別名・浮城、安住城)
天文12(1543)年に水越勝重(みずこし・かつしげ)によって築かれ、織田信長の家臣、佐々成政が城主になった。その後、越中は前田利家に与えられ、焼失した富山城を息子の利長が慶長14(1609)年、幕府に許可を得て再築城。かつては神通川に浮いているように見えたことから浮城と呼ばれた。本丸を三方から二重に取り巻く水堀が特徴で、虎口や曲輪のレイアウトは聚楽第がモデルとされるが、石垣や堀以外遺構はなく、現在の模擬天守は松本城などがモデルにされた。城内は富山市郷土博物館になっている。
住所:富山市本丸1-62
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・ 本能寺の変で暗転した佐々成政の生涯 富山城を秀吉軍10万に囲まれるも大大名に復活、波乱の結末が待っていた
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