第6位『大坂夏の陣で落城した“世界一の大阪城” 400年前にタイムスリップ?実際の城が見えた2003年の発掘調査』
【大阪城】
天正13(1585)年に完成した大坂城は天守、二の丸、三の丸があり天守は五層八階、黒漆塗りの下見板と金箔瓦、金の飾り金具をつけた望楼型天守であったと伝えられる。慶長20(1615)年、大坂夏の陣で灰燼に帰した大阪城だが、寛永3(1626)年、秀忠の時代に白漆喰総塗籠の天守閣が再建された。しかし、4代将軍・家綱の時代に焼失、以来再建されなかったが、昭和6年に豊臣時代の天守を模して再建、鉄筋コンクリートで作られた初めての城となる。ちなみに大坂が大阪になるのは明治維新以降。
住所:大阪市中央区大阪城1番1号
※松平定知さんのコラムは下記のリンクから読めます
・大坂夏の陣で落城した“世界一の大坂城” 400年前にタイムスリップ?実際の城が見えた2003年の発掘調査
https://otonano-shumatsu.com/articles/342127
第5位『関ヶ原の戦いは“豊臣家内の覇権争い” 遺構がほとんどない石田三成の居城「佐和山城」』
【佐和山城(さわやまじょう)】
鎌倉時代近江の守護職・佐々木定綱の息子が砦を築いたのが始まり。戦国時代になり、六角、京極、浅井三氏の争いの舞台になり、小谷城を本拠とする浅井氏の支城となるが、姉川の戦いで織田信長に敗れ、丹羽長秀が入城。堀秀政、堀尾吉晴と城主が変わり、天正18(1590)年、石田三成が19万4000石で入城。大改修を行い、五層の天守がそびえていたというが落城後、井伊直政が入り彦根城に資材として運ばれ、遺構はほとんどない。
アクセス:滋賀県彦根市古沢町の龍潭寺(りょうたんじ)からハイキングコースで向かうのがオススメ
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・関ヶ原の戦いは“豊臣家内の覇権争い” 遺構がほとんどない石田三成の居城「佐和山城」
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