喜多方ラーメンのルーツは「源来軒」
ここで喜多方ラーメンの歴史について簡単にふれさせていただきます。
喜多方ラーメンのルーツは、現在も営業している店「源来軒」にさかのぼります。
創業者の藩欽星(ばんきんせい)さんは、先に日本に渡っていた叔父を頼って1927年に中国から来日、喜多方に来られました。
そして戦後になると、「まこと食堂」「上海」といった店や、上海で修業し独立した「坂内食堂」が中心となり、喜多方ラーメンは発展していきます。
戦前から1965年頃(昭和40年代)の喜多方は、今のようにラーメンが観光資源だったわけではありませんが、地元では出前も含め古くから根づいていた食文化でした。喜多方は食堂文化としてラーメンを中心に、かつ丼やカレー、うどんや蕎麦、チャーハンに至るまで多種多様なメニュー構成でした。
そのため、老舗のお店は「○○食堂」という屋号が多いのが特徴です。
NHKの番組がきっかけで大繁盛
「大安食堂」は1978年の創業時から地元のお客さまで賑わっていました。
そんなある日、創業から3年ほどたった頃、NHK仙台の『東北めん類考』というテレビ番組の取材が入りました。
レポーターは当時“全国ラーメン党会長”を標榜していた林家木久蔵さん(のちの林家木久扇さん)。
そのときのエピソードが1982年の新聞で紹介されています。記事によると、「大安食堂」のラーメンを食べた木久蔵さんは何度も「おいしい」と言って、「ラーメンは人類を救う」と書いた色紙を遠藤さんに贈ったそうです。
この番組をきっかけに、大安食堂は大繁盛しました。