新横浜ラーメン博物館への出店
私たちが「大安食堂」にお邪魔したのは1992年頃。当時の喜多方はすでに多くの観光客で賑わっておりました。
私たちが「大安食堂」に初めてうかがったとき、遠藤さんは物産展に出かけており不在で、奥さまにごあいさつしたところから、お付き合いが始まりました。
当時のことを遠藤さんにうかがったところ、「これは間違いなく詐欺だと思いました。当時喜多方のラーメン店はどこも繁盛していたこともあり、ラーメン店に先物取引などの儲け話をもってくる詐欺師のような人が多かったのです。そのため、これは新しい詐欺かと思い、すぐに断るよう妻に指示しました」と、笑いながら当時のことを教えてくれました。
そうとは知らなかった私たちはあきらめず、喜多方に何度も通いました。
あるとき、遠藤さんが横浜の物産展に出店するという話を聞き、そのときは毎日のように横浜の出店先に通いました。私が怪しいものでないことをわかっていただくために、私も必死でした。
私の姉が朝ドラにも出演した女優であったため、その姉にも会っていただきましたし、遠藤さんは私より20歳以上年上でしたので、私の父にも会っていただきました。
その結果、遠藤さんに、私が詐欺師ではないことを理解いただき、次第に出店してみたいという気持ちに変わられ、出店の決断をしていただきました。
ラー博オープンの前年1993年、遠藤さんが56歳のときでした。
喜多方に帰れない日々がずっと続き
遠藤さんはラー博出店に向けて喜多方の店を休み夫婦で横浜に来られました。
当初の予定では1カ月で体制を築き、喜多方に戻る予定でした。
けれど、ラー博の店がオープンすると、毎日600~800杯のラーメンが出るため、夜中の2時頃まで仕込みをして、ふらふらになりながら住まいに戻り、2~3時間の睡眠をとり、早朝6時にはまた店に戻る……そんな日々がずっと続きました。
娘さんにも手伝ってもらい、横浜でスタッフも雇ったのですが、それでも体制がつくれず、ようやく奥さまが喜多方に戻れたのはオープンから半年後でした。
「大安食堂」のラーメンはひとことで言うと「シンプルだからごまかしがきかないラーメン」です。
スープはとんこつを中心に、魚介系をブレンドしたダブルスープ。そしてタレに使用する醤油は江戸時代から続く、地元喜多方のもの。それも特注の芳醇な香りがただよう醤油を使用しています。
そして、喜多方ラーメンの最大の特徴はやはり麺です。
地元・飯豊山の天然水で打たれた熟成多加水手もみ麺。つるつる、しこしこした食感がスープとベストマッチです。
喜多方ラーメンはスープもおいしいのですが、麺を食べるという感覚のほうが強いです。
「大安食堂」のラーメンを表現するならば、“懐かしさと新しさが同居した”正統派喜多方ラーメンとなります。