喜多方ラーメンの一大ブーム
そして、翌年の1983年には、喜多方が“日本三大ご当地ラーメン”として知られるきっかけが生まれます。
喜多方はラーメンが観光資源になる以前、“蔵のまち”として脚光を浴びました。
「蔵のまち喜多方老麺会」のホームページによると、喜多方ラーメンが観光資源になった背景には、喜多方市の職員による努力がありました。
1983年、人気雑誌を通じて観光キャンペーンを展開するなかで、少しでも観光客の滞在時間を長くしたいと、喜多方ラーメンの紹介を思いついたそうです。
日本三大ご当地ラーメンになった理由
その狙いは見事に当たり、市には問い合わせが相次ぎます。年間の観光客数も、1975年には5万人でしたが、1983年にはその4倍にもなりました。
新横浜ラーメン博物館の展示コーナーにも、当時、喜多方ラーメンが話題になった記事(『オール生活』実業之日本社、1988年4月発行)を掲載しておりました。
記事のタイトルには、《とうとうラーメンツアー列車も運行。大人気 喜多方老麺は地域おこしの横綱格》と書かれており、次のような説明がありました。
《いまやラーメンツアーの特別列車は走るわ、大型の観光バスが小さな店の前に乗りつけるわ、の大盛況である。ラーメン店も60軒前後だったのが、ここ1年で100軒を超えるまで増えた》
その前年の1987年3月には「蔵のまち喜多方老麺会」が、日本で最初の“ラーメン会”として発足しました。
「大安食堂」の遠藤さんによると、遠藤さんは初代のメンバーとして名を連ね、自分のお店のみならず、喜多方ラーメンを全国区にすべく、北は北海道、南は九州まで、全国の物産展に出店したとのことです。
こうして喜多方ラーメンは“日本三大ご当地ラーメン”として名を馳せることとなりました。