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2004年1月30日の最終日に発行された1日限りの「日割り定期券」

横浜港に面した地域の再開発計画「横浜みなとみらい21」がはじまったのは、1983(昭和58)年のことだった。1985(昭和60)年になると、その地域の新しい鉄道として「みなとみらい21線」の建設が計画された。当時は、国鉄横浜線(現JR)へ乗り入れる計画だった。その後、国鉄の分割民営化などにより横浜線との乗り入れは破談となり、1987(昭和62)年になると東急東横線との乗り入れへと計画が変更された。

この計画変更により、東横線の高島町駅、桜木町駅は廃止されることになり、また、みなとみらい線(現・横浜高速鉄道)へ乗り入れるため、東白楽駅~横浜駅間の線路と横浜駅は地下化されることになった。当初の開業目標は、1999(平成11)年としていたが、横浜駅の地下化工事が大幅に遅れたことなどにより、2004(平成16)年2月1日に”横浜高速鉄道みなとみらい線”は、ようやく開通した。

みなとみらい線の開通により東横線は、2004(平成16)年1月30日限りで横浜駅~桜木町駅の地上区間を廃止した。翌31日からは、渋谷駅~横浜地下駅の間で電車の運行を開始し、東白楽駅~横浜駅間は地下線路へと切り換えられた。廃止が近づくころになると、高島町駅や桜木町駅では名残りを惜しむ市民や鉄道ファンらで連日ごった返した。思い出にと硬券(厚紙のきっぷ)の入場券を買い求める長蛇の列もできた。なかでも定期券は、廃止日までの日数を日割り計算した金額で発売するとあって、こちらも隠れた”人気商品”となった。

横浜みなとみらい21地区の再開発といえば、1989(平成元)年に横浜市制100周年、横浜開港130周年を記念して「横浜博覧会YES’89」が開催されたが、今から36年も前のことになるとは・・・

横浜駅~桜木町駅間の最終運行日に“日割り額”で発売された廃止区間の定期券=所蔵筆者

1989(平成元)年に“横浜みなとみらい21地区”で開催された「横浜博覧会」を記念して発行された乗車券類。なつかしいと思われた方もいらっしゃるのでは=所蔵筆者
こちらも1989(平成元)年に“横浜みなとみらい21地区”で開催された「横浜博覧会」を記念して発行された乗車券類。左の2枚には”横浜博覧会”のマスコットが描かれている=所蔵筆者

遊歩道へと生まれ変わった地上線時代の線路跡

東横線の東白楽駅~横浜駅間が地下化されてから21年の歳月が経った。かつて電車が走っていた地上区間は、どんな様子になっているのだろうか。ふと気になり、1.4kmの地上線跡をたどるトレイルへと出かけてみた。東横線の東白楽駅で下車し、横浜方面に向かって高架線の右側を歩きはじめた。ほどなくして、線路は下り勾配となり、その先には地下トンネルへの入口となる坑口が見えた。その脇にある平川町公園から線路の上へと続く階段があった。階段をのぼりきると東横線のトンネル坑口の真上に出た。

東白楽駅から横浜方面に向けて、線路は緩やかな下り勾配となる=2025年4月21日、横浜市神奈川区
地下線へと潜る東横線の坑口は、平川町公園のすぐとなりにあった=2025年4月21日、横浜市神奈川区

階段をのぼりきると、真上からは地下線へともぐってゆく東横線を間近に見ることができた。ここからはじまる遊歩道は、横浜方面に向かって直下を走る地下線と同様に、緩い下り坂となっていた。しばらく進むと、一つ目の公園というか広場に出た。そう、ここが旧新太田町駅跡(臨時「博覧会場前駅」)である。しかし、この場所には何ら駅跡を示すモニュメントは設置されていない。周囲を見渡してみると、駅跡に面したマンションの植え込みに”石碑”らしきものを発見。

平川町公園から階段を上がると地下へと続く東横線の坑口の真上に出た=2025年4月21日、横浜市神奈川区
遊歩道は緩やかにカーブを描きながら、地下線へもぐる線路に合わせて下り勾配がつづく=2025年4月21日、横浜市神奈川区
遊歩道が広くなっているところが「新太田町駅跡」。その目の前にあるマンションの植え込みに旧駅跡を標す石碑が建っていた=2025年4月21日、横浜市神奈川区
新太田町駅跡に展開される広場には、「東横フラワー緑道」と書かれた石銘板がある=2025年4月21日、横浜市神奈川区

この石碑は、高架駅があった時代の駅構内(高架下)の壁面に”ペンキ”で書かれていた「のりば案内」を模して造られたものだが、いつの頃に誰が建立したものか、といった記録がなく委細不明である。少なくとも、東横フラワー緑道が完成する前から、現在地にあったとされる。

また、この広場の入口には「東横フラワー緑道」の名が刻まれた石銘板と、近くには案内板もあり、そこには「東横線の地下化により生まれた、(横浜市神奈川区の)平川町(ひらかわちょう)から台町(だいまち)を結ぶ1.4kmの緑道です。東横フラワー緑道の名称は、(神奈川)区民公募の中から電車が通っていたことや人々の往来、緑や花の明るいイメージを感じさせるものとして選ばれました。」と説明文が書かれていた。

 駅跡からさらに歩みを進めると、遊歩道上にレールが埋め込まれており、ここに東横線が走っていたことを示す工夫がされていた。レールを眺めていると、なにやら電車の走る音が聞こえてきた。地下トンネルの換気塔から聞こえたものだった。確かにこの地下に東横線が走っていることを実感できる瞬間でもあった。

マンションの植え込みにひっそりと建っていた新太田町駅跡を標す石碑=2025年4月21日、横浜市神奈川区
新太田町駅跡の広場と“東横フラワー緑道”の案内板=2025年4月21日、横浜市神奈川区
遊歩道に埋め込まれたレール。かつてここに東横線が走っていたことを伝えるモニュメントだ=2025年4月21日、横浜市神奈川区
東横フラワー緑道に設置された地下を走る東横線の換気塔。そこからは、電車が通過するたびに“走行音”が漏れ出していた=2025年4月21日、横浜市神奈川区
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遊歩道に転用された鉄道橋...
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