遊歩道に転用された鉄道橋
東横フラワー緑道のほぼ中間地点となる地上時代の”反町”駅跡に辿り着いた。そりまち駅ではなく、たんまち駅である。駅前を通る国道一号線に架かる鉄橋(ガーター橋)は、地上線当時の姿のまま東横フラワー緑道へと転用されていた。昔の写真と対比すると、鉄道橋はそのままであることがわかる。緑道上には、東横フラワー緑道の案内板が設置されていた。
めずらしかった長いトンネル
かつて地上線時代の反町駅があった横浜寄りには、「高島山隧道」と呼ばれる173.72mのトンネルがある。東横線が開通した当時は、鉄道に長いトンネルがあることがめずらしかったという。このトンネルの入口手前で、ん?これは!というものを発見。「8」の数字が書かれたオレンジ色の小さなプレートは、ここに反町駅のホームがあったことを示す「8両編成の停止位置」を示す表示板だ。思わぬ発見は、意外な鉄道遺構だった。
2006(平成18)年にはじまった東横フラワー緑道の整備は、2011(平成23)年の高島山トンネルの整備完了とともに完成した。同年、社団法人全日本建設技術協会から「平成23年度全建賞受賞事業」として、東横線跡地整備事業(地下核間)が認定を受けている。トンネル内部は綺麗に整備されており、“東横線の痕跡”は何も遺されていない。トンネルの入口と出口の上部に設置されている扁額(トンネル名称が書かれたプレート)も、新しく取りつけられたもので、東横線時代のものとは異なる。
そうそう、トンネルに向かう途中で見つけた「反町浴場」の看板。気になるではないか。しかし、13時を過ぎた頃だったので、さすがに営業はしていないだろう。またの楽しみが、一つ増えた。
トンネルを抜けると、そこは神奈川駅跡だった
東横フラワー緑道を起点側から長らく歩いてきたが、旧反町駅跡を過ぎてからは人通りが絶えないこことに気づいた。生活道路として定着しているのだろう。街と鉄道跡が調和して造られている東横フラワー緑道は、とても素敵な存在だ。トンネルの中は、気持ちヒンヤリしていた。出口に近づくと緩やかに傾斜をはじめた。
地上時代の東横線は、トンネルを抜けると高架線となって横浜駅へと向かっていたが、東横フラワー緑道は地形に沿って緩やかな坂道をくだった。 坂を降り切ると、目の前には旧東海道が通っていた。ここが旧神奈川駅のあったところだ。後ろを振り返れば、高島山隧道がぽっかりと口を開けている。駅跡には案内板が設置されており、昔の東横線との関連性がわかる写真とともに、旧東海道のことも紹介されていた。
そのまま、遊歩道を突き進むと環状1号線に突き当たり、ここで“東横フラワー緑道”は終点となる。その先の東横線の線路跡には商業ビルが建っており、鉄道が走っていた痕跡は、ビル内にある“レールウォーク”と呼ばれる通路くらいだろうか。