今でこそ世界で確固たる地位を築いている日本車だが、暗黒のオイルショックで牙を抜かれた1970年代、それを克服し高性能化が顕著になりイケイケ状態だった1980年代、バブル崩壊により1989年を頂点に凋落の兆しを見せた1990年代など波乱万丈の変遷をたどった。高性能や豪華さで魅了したクルマ、デザインで賛否分かれたクルマ、時代を先取りして成功したクルマ、逆にそれが仇となったクルマなどなどいろいろ。本連載は昭和40年代に生まれたオジサンによる日本車回顧録。連載第61回目に取り上げるのは1998年にデビューしたトヨタプログレだ。
世紀末はセダン受難
日本のクルマ界が大きく変貌を遂げるきっかけとなった1988年。翌1989年は名車が多数生まれた日本のビンテージイヤーと言われるが、1990年までその勢いは続いた。プログレが誕生したのはビンテージイヤーから約10年経過した1998年5月。その約10年間に日本のクルマ界は大きく様変わりしていた。最大の変化はセダンが売れなくなったこと。1988年に初代シーマが大ヒットして『シーマ現象』を巻き起こしたが、セダンの需要は激減していた。
クルマは高額車両ゆえ、複数所有できる恵まれた環境の人は全体から見ればひと握り。なけなしのお金で一台を厳選するとなると、セダンよりも多機能なミニバン、SUVに行ってしまうのは自然な流れ。クーペ系が衰退したのも同じ。21世紀に入って一部ヒットしたセダンは登場したが、セダン受難はかれこれ30年近く続いていることになる。
セダンに対し最も危機感を覚えていたのがトヨタ
2025年現在では日本で新車購入できるセダンは激減している。特に全幅1700mm以下の5ナンバーサイズのセダンと言えば、トヨタのカローラアクシオのみ。今や日本車も全幅が1800mm超えるモデルが当たり前になりつつある。日本車が大きくなりすぎていると嘆く年配層(筆者を含む)が多いのもうなずける。
セダンが売れなくなって各メーカーは危機感を覚えていたが、なかでもその危機感はトヨタが最も抱いていた。他メーカーはセダン系モデルの整理、統廃合を行うなか、トヨタは積極的にセダンを登場させた。このあたりがトヨタの強みで、この姿勢が現在の最強トヨタの礎になっているのは間違いない。
クラウン以上セルシオ以下
21世紀も現実的なものとなってきていた1998年のトヨタの意欲作がプログレだ。プラットフォームはクラウン系と同じで駆動方式はFR(後輪駆動)。ちなみに同じ1998年にデビューしたアルテッツァも同じプラットフォームを使っているが、こちらはスポーツセダンというキャラクターが与えられていた。
そのプログレのコンセプトは、小さな高級車というもの。当時のトヨタのセダンのラインナップは豊富でヒエラルキーを見ると、FF(前輪駆動)系が下から順にカローラ/スプリンター、コロナ/カリーナ、カリーナED/コロナEXiV、ビスタ、カムリ、アバロンと続き、最上級にウィンダムとなっていた。一方FR系はマークII/チェイサー/クレスタ、クラウン、そして頂点にセルシオが君臨していた(センチュリーは別格)。当時のトヨタは世界一のセダンラインナップだった。改めて見返しても凄いこと。
プログレにはトヨタの代名詞、クラウン以上となるセルシオクォリティが与えられていたのだ。