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二子玉川から廃線跡をたどる

砧線が廃線となってから57年となる2026(令和8)年。幸いにも廃線跡がそのままに道路へと転用されているなど、痕跡もたどりやすく距離も2km弱であり、お散歩に適した廃線跡といえよう。まずは、二子玉川駅を出て田園都市線(旧・新玉川線)の高架線沿いへと向かった。駅舎と一体となる建物の裏手へと回りこむように高架線の脇へ出ると、高架下の自転車駐輪場が目に入る。この駐輪場とその左脇にある道路が、まさに玉電2路線分(玉川線と砧線)の線路敷があったところだ。

この脇の道路をまっすぐ進んでいくと、目の前に雑木林が見えてくる。この雑木林の周囲は、「鉄道用さくがき」と呼ばれる鉄道特有のコンクリート柵で囲われていた。左に曲線を描くこの土地が砧線の廃線跡だ。並走していた玉川線の線路敷(廃線跡)はというと、田園都市線(旧・新玉川線)の高架線へと生まれ変わっていた。雑木林となっていた線路敷は、世田谷区に払い下げられており、そのおかげで再開発の影響も受けずに当時のままの姿を今にとどめている。廃線跡を埋め尽くすように育った樹木は、廃止から57年の歳月が経過したことを物語っていた。

雑木林の先は、商業施設の建物(立体駐車場)になっており、この建物は左に曲線を描いていた線路敷の上に建てられており、周囲の建物と比べてもその角度から廃線跡であることは一目瞭然だった。この先につづく廃線跡は、玉川通り(国道246号線の旧道)を越えると「花みず木通り(砧線跡)」という世田谷区道へと姿を変えていた。ここから砧線の終点駅があった砧本村バス停までは2km弱の道のりとなる。ここで、少しばかりの休憩をはさむことにしたい・・・。

二子玉川(旧・二子玉川園)駅周辺の玉電「砧線」の廃線跡略図=世田谷区設置の現地案内板に筆者加筆
砧線〔玉川・砧間〕軌道新設線路平面図より、二子玉川駅周辺を抜粋したもの。カーブを描いている辺りに小さいながらも今も砧線の線路敷は残されている=資料/国立公文書館蔵
高架下からはみ出した自転車駐輪場部分とその脇の道路が玉電の線路跡。このあたりで玉川線と砧線は分岐していた=2026年1月6日、世田谷区玉川
まだ新玉川線だった時代の高架橋の左側に沿った敷地が玉電の廃線跡。玉川線と砧線の用地だっただけに、その広い廃線跡には東急の名を冠した企業の事務所や詰所などが建っていた=1992年2月28日、世田谷区玉川
まるで雑木林と化した砧線の廃線跡。この土地は世田谷区に譲渡され、手つかずのまま57年の歳月が経過した。左下に「鉄道用さくがき」が見える=2026年1月6日、世田谷区玉川
雑木林を取り囲むように設置された「鉄道用さくがき」。この中を砧線は走っていた=2026年1月6日、世田谷区玉川
玉川通り(国道246号線の旧道)を越えた廃線跡は、「花みず木通り(砧線跡)」という名の区道として整備されていた。写真中央の細長くつづく道路が砧線の廃線跡で、その上に見える高架橋が国道246号線の新道バイパス=2026年1月6日、世田谷区玉川
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文・写真/工藤直通

くどう・なおみち。日本地方新聞協会特派写真記者。1970年、東京都生まれ。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物に関連した取材を重ねる。交通史、鉄道技術、歴史的建造物に造詣が深い。元・日本鉄道電気技術協会技術主幹、芝浦工業大学公開講座外部講師、日本写真家協会正会員、NPS会員、鉄道友の会会員。

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