待ちに待った伊豆急行の開通
紆余曲折を経て、ようやく1959(昭和34)年2月9日付で運輸省から伊豆下田電気鉄道に対して「鉄道敷設免許」が下付された。次いで同年12月24日には、路線名”伊東下田線”として工事施工認可を受け、翌年(1960/昭和35年)1月22日に建設工事は着手された。ただし、伊東駅構内は国鉄との協定締結に時間を要したため、工事着手は1961(昭和36)年4月となった。同年3月1日には、商号を伊東下田電気鉄道株式会社から伊豆急行株式会社へと変更した。
工事は、建設途中のトンネル内で発生した落盤により死者を出すといった悲惨な事故もあったが、1961(昭和36)年11月には運輸開始認可申請を行うまでに至った。運輸開始予定日は、1961(昭和36)年12月9日とされた。建設資金調達は、以下の企業が引き受けた。東映、東横百貨店、白木屋(のちの東急百貨店)、日本交通、東急不動産、日東タイヤ、東急車輛製造、国民相互銀行、関東乗合自動車、新日本興業、日本内燃機製造、静岡鉄道、東急観光。
開業に備え、1961(昭和36)年4月には車両製造の認可申請が行われ、電動車12両、制御車6両の計18両が新造されることになった。その後、国鉄伊東線に乗り入れる車両が5両1編成に決まると、追加で電動客車2両と附随客車2両が発注された。これらの電車は、”ハワイアンブルー”を身にまとった電動客車14両、制御客車6両、附随客車2両の合計22両(クモハ110形+サロハ180形+クモハ110形=2編成、クモハ110形+クハ150形=6編成、クモハ100形=4両)で、来るべく開業に備えた。電車の試運転は、伊豆急行のPRもかねて、東京と横浜を走る”東急東横線”でも実施された。
駅は、最終的に次の13駅に決定した。(以下は計画時から現在の駅名に至る変遷を記したもの。)なお、開業後に増設された駅(城ヶ崎海岸駅、伊豆北川駅、今井浜海岸駅)はここには記載していない。また、計画時の駅設置場所と現駅の設置場所に差異のある駅が存在するほか、伊豆稲取駅~稲梓駅間は計画時と現行では線形(通過点)が大きく異なっている。
地方鉄道免許申請起点=国鉄伊東→伊東駅、伊豆鎌田→南伊東駅、川奈駅、〔川奈ゴルフ場前駅→計画のみ〕、富戸駅、八幡野→伊豆高原駅、伊豆大川駅、熱川→熱川温泉→伊豆熱川駅、伊豆片瀬→片瀬白田温泉→伊豆片瀬→片瀬白田駅、稲取→稲取温泉→伊豆稲取駅、谷津→河津温泉駅→河津駅、〔縄地駅→計画のみ〕、稲梓〔いなずさ〕駅、蓮台寺→蓮台寺温泉→蓮台寺駅、伊豆下田→下田→伊豆急下田駅。
建設工事は急ピッチで進められ、着工からわずか1年10か月で完成をみた。1961(昭和36)年12月7日に銀座東急ホテルで開通披露パーティーが開催され、翌8日には東京都代々木体育館で約1万人を招いて「伊豆急開通前夜祭・歌と踊りのグランドショー」が催された。続いて12月9日に南伊東駅で竣功式、伊東駅で祝賀電車の発車式、伊豆急下田駅前では俳優の石原裕次郎氏らを招いて開通披露式が行われた。
正式な開業日は12月10日で、午前5時18分、伊豆急下田駅から伊東駅に向けて一番電車が出発した。また、午前8時12分、国鉄・東京駅からも直通祝賀電車が運行され、岸信介・元内閣総理大臣らが乗車するなど、伊豆急行の華々しいデビューを飾った。伊豆急下田駅の駅前にそびえる寝姿山の山頂には、伊豆急行の開通を見ずして逝去した東急グループ総帥の五島慶太氏を称えた顕彰碑「五島慶太は伊豆とともに生きている」が、今も建立する。
今年で、開通から65年を迎える伊豆急行。下田駅のほど近くには皇室の御用邸があることから、“お召列車”が走る路線として知る人も多いことだろう。この夏は、ぜひ伊豆急行を利用して「夏の伊豆」を満喫してみてはいかがだろうか。
文・写真/工藤直通
くどう・なおみち。日本地方新聞協会特派写真記者。1970年、東京都生まれ。高校在学中から出版業に携わり、以降、乗り物に関連した取材を重ねる。交通史、鉄道技術、歴史的建造物に造詣が深い。元・日本鉄道電気技術協会技術主幹、芝浦工業大学公開講座外部講師、日本写真家協会正会員、NPS会員、鉄道友の会会員。






















