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庶民が手を出しやすい高級車

自動車税、物品税では3ナンバーを贅沢品とみなし重税を課していた。そのことが日本車が闇雲に大きくなることに歯止めをかけていたのは事実。今と違って3ナンバー車は特別な存在だった。

それが税制改革により、少なくとも排気量が3Lクラスまでは、たとえ全幅が1700mmを超えたとしても、ごく普通の一般ユーザーが手の出せる税額になったのだ。そこにいち早く対応させたのが今回紹介する初代三菱ディアマンテなのだ。

自動車税変更後に登場した日本車第一号が初代ディアマンテ

社運を賭けたブランニューセダン

初代ディアマンテは東京モーターショー1989で市販前提モデルとして参考出品された。この時点でほぼ完成形となっていて、自動車評論家、クルマ雑誌などの媒体を対象としたショーモデルの試乗会まで開催された。この頃筆者はまだ大学生だったため内情には詳しくないが、当時はショーモデル、プロトタイプと呼ばれる試作車の試乗会が積極的に開催されていて、メーカーサイドも最終仕上げ、市販に向けての重要な機会ととらえていたようだ。

そしてディアマンテは、税制改革の1カ月後の1990年5月に正式デビューを飾った。新税制下で登場した日本車第一号だ。ディアマンテの車名はスペイン語でダイヤモンド。三菱と言えばスリーダイヤでそれに由来する重要な車名をブランニューセダンに与えた。三菱にとっては社運を賭けたモデルと言ってもいい。

ディアマンテはスペイン語でダイヤモンドの意味

堂々とした完全な3ナンバーボディ

初代ディアマンテのボディサイズは全長4740×全幅1775×全高1410mmという3ナンバーサイズの堂々としたもの。ちなみに旧税制化で設計されたハイソカーブームの盟主、マークIIブラザーズは全長4690×全幅1695×全高1375mmで、明らかに車格が違った。それはそのはず、初代ディアマンテは当時のメルセデスベンツEクラス、BMW5シリーズに匹敵するサイズだったのだ。

初代ディアマンテは4700mmを超える全長により伸びやか

搭載されるエンジンは2L(125ps/17.5kgm)、2.5L(175ps/22.6kgm)、3L(210ps/27.5kgm)という3種類の排気量のV型6気筒エンジンで、2LがSOHCで2.5Lと3LがDOHC。2Lモデルは1グレードのみの最廉価モデルで、販売のメインは2.5L、3Lとなっていた。

3ナンバーボディ、2.5L、3Lがメインのアッパーミドル4ドアセダンというのは欧州車では当たり前だったが、前述のとおり税制で縛られていた日本車としては初代ディアマンテが先鞭をつけたパイオニアと言っていいだろう。

販売のメインは2Lではなく、2.5Lと3L

BMW風のフロントマスク

エクステリアは異形と丸灯を組み合わせた4灯ヘッドランプに逆スラントノーズ。キドニーグリルが装着されていないが、どことなくBMWを彷彿とさせる。当時はプロジェクターヘッドライトが流行していたが、初代ディアマンテは世界初のプリズムヘッドライトを採用。ヘッドライト内部のリフレクターやレンズに細かなカットを施すことによって前方を均一に照射するという効果があると同時に、ヘッドライトを消灯している時にキラキラとした宝石のような輝きエレガントさを好演出。ディアマンテ(ダイヤモンド)の名前にふさわしい美しさを誇った。

BMW風の逆スラント下フロントマスクは高級感も充分ある

さらに最初から3ナンバーサイズで設計された1775mmの全幅によるワイド感は当時の日本車では群を抜いていた。ディアマンテ登場後にサイドモールやバンパーなどを大型化することによって3ナンバーサイズに仕上げる『エセ3ナンバー車』が多数登場。マークIIブラザーズなどもそうすることにより3ナンバーボディに変更したが、明らかに見劣りした。

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3ナンバーボディの恩恵が大きい室内
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市原 信幸
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