伝説のエンジニアが主査を担当
パブリカが販売で苦戦するなか、初代カローラの開発は創業者の豊田喜一郎氏からエンジニアの長谷川龍男氏への提言がきっかけだったという。長谷川氏は立川飛行機を経てトヨタに入社後、初代トヨエース、前述のパブリカ、トヨタスポーツ800(ヨタハチ)の開発主査を歴任。その後は初代セリカ、初代カリーナを手掛けたトヨタの伝説のエンジニアだ。長谷川氏は2004年に自動車殿堂入りした後、2004年に永眠されている。筆者は自動車雑誌『ベストカー』の取材で一度だけお会いしたことがある。
初代カローラでリベンジ
長谷川氏が初代カローラの開発にあたり導入したのが、『80点主義+α』で、これは特定のものだけが突出しているのではなくトータルバランスに優れ、90点以上の性能を目指すというもの。初代カローラの立ち位置は700ccクラスのパブリカと1500ccクラスのトヨペットコロナの間だ。
パブリカでは実現できなかった新たな大衆車となる初代カローラはパブリカのデビューから2年後の1963年に開発がスタートした。初代カローラは1966年デビューだから、開発期間は約3年で当時としては異例に早いと言える。当然ながら、トヨタはパブリカでが苦戦した経緯を理解し、当時のトヨタが持つ技術などが惜しげもなく投入された。
ここで面白い話がある。初代カローラは幅広い層にニーズを合わせるべく開発されたと言われていたものの、実は『短大卒の女性』を本命ターゲットとしていたという。これは非常に面白いエピソードでデビュー時には触れられていなかったが、『トヨタイズム』の動画内で豊田章男会長が明かしていた。いつの時代もマーケットのイニシアチブを握るのは女性で、当時は短大卒の女性がハイカラだったということだろう。
プラス100ccの余裕
初代カローラのボディサイズは、全長3845×全幅1485×全高1380mmでホイールベースは2285mm。現在の基準では軽自動車をちょっと大きくしたようなボディに、5人がゆったりと寛げるパーソナルスペースを確保したことが凄い。
エンジンは1077ccの直列4気筒OHVを搭載。当時のコンパクトカーの主流派1000ccで、ライバルの初代日産サニーも1000ccだった。1077ccがいわゆる『プラス100ccの余裕』というわけだ。最大のライバルの日産が初代サニーを1000ccで開発しているという情報を入手して、+100ccの1077ccにしたという逸話も残っている。駆動方式はFR(後輪駆動)だ。
当時のエンジンスペックはグロス表記で、最高出力60ps/6000rpm、最大トルク8.5kgm/3800rpmをマーク。エンジンを右側に20度傾けて搭載することにより重心を低くすると同時に吸気効率を高めていた。
最高速は140km/hで、トヨタでは欧州の同クラスの水準を破った高速性能と大々的にアピールしていた。





